こんにちは、
金子です。
今日はとても長いメールになりました。
生々しい話も入ってます。
震災当時を思い出すことにもなるとおもうので、
気持ちを引っ張られたくない方は
読まないほうはよいかもしれません。
たた、暗くなる話をしたいわけでも
しめっぽいメッセージを
伝えたいわけでもありません。
あの原発事故とはなんだったのか
あらためて見つめ直し、
これから力強く前に進んでいく
糧に変えていくことが大切なのではないか
という思いで今日のメールを書きました。
では行きます!
を読み終えました。
映画『Fukushima 50』
の原作にもなった本。
福島第一原発の
事故当時、現場に残り、
死を覚悟で被害の拡大を食い止めた
人々の苦悩と格闘を描いた
ノンフィクション作品です。
今日で震災から9年。
警察庁によると、
3/1現在の死者・行方不明者は
それぞれ次の通り。
死者 15,899人
行方不明者 2,529人
避難者は今現在
47,737人に及ぶといいます。
※引用:
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200310-00000054-mai-soci
生々しい津波の映像
福島原発の水素爆発
次々と露呈される
東電幹部や政府の後手の対応ぶり
高まる反原発論争
そうした一連の報道を
ただ見ていただけだった当時の僕は
福島第一原発の事故について
ずっとこう思っていました。
「あの原発事故は、
東日本、特に東北地方に
甚大な被害をもたらした」と。
しかし、
『死の淵を見た男』を読んでいくうちに、
その認識ががらりと変わりました。
あの原発事故は、
甚大な被害をもたらした。
これは紛れもない事実。
しかし、
もう1つの事実を
僕は完全に見落としていたのです。
あのとき、福島第一原発の
1号機と3号機の建屋が
水素爆発を起こしています。
その映像はニュースでも
何度も放送されたので
覚えている方も多いはず。
ただ、原子炉自体が爆発した
わけではありませんでした。
しかし、その後、
いつ原子炉が爆発を起こし
大量の放射線が飛散しても
おかしくない状態に
なっていたそうです。
想定外の津波によって、
すべての電力が停止し、
原子炉を冷やすことが
できなくなっていたんですね。
それにより原子炉のなかの
圧力が急激に高まり、
それが爆発寸前へと
状況は悪化していました。
なんとしても、
その圧力を外に放出しないと
いけなくなったわけです。
この原子炉のなかの
圧力を外に出すのが
「ベント」という作業でした。
これは、福島第一原発の
吉田所長と現場作業員、
自衛隊の決死の覚悟と
見事な連携によって
無事成功することになります。
しかし、その直後、
今度は2号機に異常が発生。
3号機の爆発によって
電気回路が影響を受け、
2号機のベント作業がストップしてしまった。
その結果、
2号機の格納容器の
圧力が上昇してしまうんですね。
もしも、あのとき、
2号機の原子炉が爆発していたら、、、
吉田所長は、
取材の際こう答えたといいます。
「格納容器が爆発すると、
放射能が飛散し、人が近づけなくなる。
他の原子炉の冷却もできなくなる。
福島第二原発とあわせて十基の原子炉が溶ける。
被害はチェルノブイリ事故の10倍になる。」
チェルノブイリの10倍というのが
いったいどれくらいの被害なのか
僕にはもはや想像できません。。。
現場はいつ爆発が起こってもおかしくない
予断を許さない状況に。
吉田所長は、
一部の作業員をのぞいて
退避を指示。
600人が速やかに退避し、
69人だけが残りました。
これがのちに海外メディアで
「フクシマ・フィフティ」と
呼ばれることになります。
このときの様子を
吉田所長が語ったものが
本に書かれているので
そのまま引用します。
「爽やかでしたよ。
みんなぐっと覚悟を決めたっていう
感じでしたからね。
冗談いいながら、結構明るかったと思います。
この後、私たちは、
また中操に行くんですけど、
もう覚悟決めた人間ですから、
行くのはどうということはなかったです。
それより、こいつまで殺しちゃうのかと
心配しなくちゃいけない人間はみんな
いなくなって、”死んでいい人間”だけに
なりましたから。
悲壮感っていうよりも、
どこか爽やかな感じがありました。」
このとき、残った69名は、
もう死ぬ覚悟をしていたんですね。
でも、彼らはあきらめることなく
この危機的な状況と闘いつづけます。
2号機の熱を少しでも
下げることに命をかけるんですね。
消防車を使い、地道な
放水を繰り返していく。
そして、
自衛隊が専用ヘリを飛ばし、
上空からの放水を試みる。
もちろん、現場は
人体に影響が出る放射線物質が
飛散していますから、
作業しながらのその恐怖たるや
凄まじいものがあったと思います。
本にはこのあたりの
緊迫した場面が
生々しく描写されていますが、
自分が彼らの状況に置かれたら
怖くて怖気付いてしまったかもしれません。
こうした現場作業員や
自衛隊員の決死の努力によって、
ついに2号機の温度の上昇が
ストップすることになります。
そのとき、政府や原子力委員会は、
最悪のシナリオを想定しました。
もしあのとき2号機が爆発していたら、
〈1〉原発から半径170km圏内は強制移住
〈2〉250km圏内で避難
これらの勧告をする可能性も
話し合っていたといいます。
250kmというと、対象人数は
5000万人にあたるそうです。
東京や横浜など首都圏も含まれます。
最悪のケースでは、
安全に住めるエリアは
北海道と西日本になるという
可能性もあったということです。
僕はこの本を読むまで、
「原発事故がもたらした被害は
甚大なものだった。」
そう思っていました。
でも、実は、その続きがあって、
「現場の作業員や自衛隊員の
不眠不休の孤軍奮闘によって、
日本の壊滅という最悪の事態が
回避された」
という事実があったのです。
当時、原発事故は、人災だと
マスコミは報道しました。
確かにそういう見方もできます。
でも、日本を救ったのもまた
同じ人なのですね。
にもかかわらず、
日本を壊滅から救った
彼らの存在や貢献、払った代償や
彼らの家族や遺族の想いなどは
マスコミに取り上げられることは
ほとんどありませんでした。
僕も恥ずかしながら
この本を読むまで
知りませんでした。
映画『フクシマ・フィフティ』も
観ましたが、この原作の
リアリティを損ねることなく、
原発事故の被害の生々しさや
現場の緊迫感が鮮明に描写されています。
今、コロナで外出を自粛されているとは
思いますが、興味がある方はぜひ
この機会にご覧ください。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/367924/
このメールを書きながら、
あらためて思いました。
「今僕が生きられていることは
当たり前のことではない。
生かされているのだ」と。
震災で亡くなられた方の
ご冥福をお祈りいたします。
本日は以上です。
今日もお読みいただき
ありがとうございました。
金子吉友
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