アメリカが日本に原爆を落とした本当の理由がひどすぎる

現代史

今日は原爆の話をしようと思います。

僕は個人的に、この広島・長崎の原爆ほど卑劣と欺瞞にまみれたものはないと思っているんですね。

なぜ日本はポツダム宣言の受託を躊躇したか

​確かに、日本はポツダム宣言を発表翌日に一度拒みました。

​しかし、正確にいえば、日本は拒絶をしたのではなく、その内容がグレーで受け入れられなかったんです。

なぜか?天皇の生存、皇統(天皇制)の保持について一切触れられていなかったためです。

​事実、御前会議でもこの点で紛糾していました。

そうこうしているうちに、8/6に広島に原爆が落とされてしまいます。(その年に亡くなった方は14万人と言われています。)

新型爆弾の被害状況が広島から報告され、首脳陣は大きく揺れるもポツダム宣言を受託するかどうかで議論は真っ二つに割れていました。

そして、その3日後、ついに2発目の原爆が長崎に投下されます。(死亡者7万人)

広島投下のあと日本が降伏する様子がなかったために長崎への投下が急遽決まったのでしょうか。

では、その後すぐにポツダム宣言を受託すれば長崎へは落とされなかったのでしょうか。

結論としてはNOです。

原爆ははじめから2発落とされる計画だった​

実は、原爆を2発投下することはあらかじめ計画されていたことがその後の資料で判明しているんですね。

『資料マンハッタン計画』には次のようなことが書かれていたのです。

●1945年8月3日ごろ以降、天候が有視界爆撃を 可能にするようになり次第、最初の特殊爆弾(原爆)を、次の目標のうちの一つに投下すること、広島、小倉、新潟、長崎。

●準備が完了次第、追加の(原子) 爆弾(複数)を、前記の目標に投下すること

※出典:ハンディ陸軍参謀総長代理からスパーツ陸軍大将宛の資料223

それで、この文書が書かれたのはいつかというと、7月25日なのです。

そして、ポツダム宣言は発表されたのはその翌日の7月26日

日本に降伏を要求するための宣言を出す前日には、原爆の投下の時期、投下都市もさることながら、追加の投下すら予め計画されていたのです。

もし、日本の降伏が目的なら、原爆は最終的な手段であり、追加の投下まで計画しておくなどありえません。

このことからアメリカは最初から原爆を2発投下する気でいたことはほぼ間違いないでしょう。

​日本のポツダム宣言の回答期限は実質4日間しかなかった

しかも、西島有厚氏は『原爆はなぜ投下されたか』のなかで、(マンハッタン計画の責任者である)グローヴズ少将が戦後、「7月31日がわが方の準備がよければ最初の投下してよい日であった」と明言したと指摘しています。

つまり、早ければ7月31日には原爆が落とされていた可能性もあったということです。

整理すると、、、

●ポツダム宣言が発表されたのが7月26日の夜

●原爆投下の命令はその前日の7月25日

●原爆を最速で投下できる日は7月31日

となります。

ポツダム宣言が出されてから最速投下日までわずか4日間ということになります。

このあたりの話は鬼塚英昭氏の『原爆の秘密[国外篇]』に詳しく解説されていますが、鬼塚氏は、『この四日間がポツダム宣言にたいする日本側の回答の事実上の期限であった。』と書いていますね。

しかも、天皇の地位を保障する条項を削除し、日本側の決断に時間がかかるようにしているのです。

つまり、アメリカは

●ポツダム宣言は日本側に受け入れにくい内容とする

●7/31には1発目が投下できるよう準備をしておく

●日本側の拒絶を持って、原爆投下のゴーサインを出す

このような段取りでマンハッタン計画を進めていたわけです。

ここにアメリカ側の意図・思惑がはっきり出ていますよね。

アメリカはどうしても原爆を投下したかったのですよ。

しかも投下数は1回ではだめで2回でなければならなかった。

アメリカが原爆を落とした本当の理由

では、​いったい、何のためにアメリカは日本に原爆を​落としたのか。

一般的には、

●徹底抗戦を続ける日本に戦争をやめさせるため

●日米双方のさらなる犠牲者を増やさないため

などと伝えられています。

実際、スティムソン陸軍長官は戦後「原爆投下で終戦が早まり、100万人の命が救われた」という論文を発表したためアメリカではこれがスタンダードな認識になっています。

しかし、これはあくまでも表向きの理由であって、本質は違うのです。

アメリカの原爆投下の真の目的はソ連だったのです。

具体的には2つです。

1つは、ソ連が参戦する前に日本を降伏させること。

ポツダム宣言の直前に原爆の実験に成功したアメリカは、原爆があればソ連の参戦がなくても日本を降伏させることができると考えたのです。

もしソ連が参戦すれば、アメリカが原爆を投下する前に日本が降伏してしまうかもしれない…アメリカはこれを危惧し、ポツダム宣言後にできるだけ早く原爆を2回投下しておきたいと思っていたということです。

もう1つは、ソ連に先んじて原爆投下を成功させることで、戦後の米ソ対立におけるアドバンテージをなんとしても確立しておきたかったことです。

ここまでで明らかになるのは、上記の「徹底抗戦を続ける日本に戦争をやめさせるため」や「日米双方のさらなる犠牲者を増やさないため」というのは、体のいい名分にすぎず、アメリカの本音を巧妙に覆い隠すまったくの詭弁であったということですね。

アメリカにとって原爆投下によってどれだけ多くの市民が亡くなろうがそんなことはどうでもよかった…

彼らの頭のなかは、新型爆弾の実戦投下を成功させ、その威力を世界、特にソ連に見せつけることでいっぱいだったのです。

​なぜ広島と長崎の2回投下される必要があったのか

では、なぜ原爆は2発も投下されなければならなかったのか。

答えは単純。

広島と長崎に落とされた原爆は違うタイプの原爆だったのです。(広島⇒ウラン型、長崎⇒プルトニウム型)

アメリカはこの異なる2タイプの原爆を両方落とし、その性能や結果の違いを検証したかったわけですね。

つまり、日本は2種類の原爆の完全なる実験場にされたということです。

ちなみに広島の原爆を搭載したエノラゲイは、パイロットの母親の名前から採用されたということになっていますが、『あるユダヤ人の懺悔―日本人に謝りたい』(モルデカイ・モーゼ著)には、イディッシュ語で『天皇を屠(ほふ)れ』という意味があるとも書かれていて恐ろしくなります。

ここまで書いてきて、あらためて腹が立ってしかたがありません。耐え難い屈辱です。

乱暴な言い方になって恐縮ですが、マジでふざけんな😡、ですよ。

ここまでの歴史の事実を知ってもまだ「原爆2発落とされたけど仕方がなかったよね」と思えますか?

日本人の多くは「日本は悪いことをしたから原爆を落とされたんだよ」と教わって「そうなんだ」「仕方なかった」と納得してしまっていますが、この感覚ははっきりいって異常なのです。

広島の平和公園の記念碑には「過ちは繰り返しませぬから」と書かれていますが、過ちを犯したのはいったい誰なのでしょうか。

もちろん日本もアジア諸国で非人道的な行為をした事実は消えません。(一部の右翼は日本はそのような残虐な行為はしていないと主張していますが、悪いことをした日本兵がいないわけがありません。)

しかし、どんなに日本が悪いことをしたとしても、大量の一般市民を殺戮できるほど破壊力のある原爆を落としていい大義も権利もアメリカにあるはずがありません。(しかも二度もです。)

純粋に日本本土での決戦を避け終戦を早め、違いの犠牲を最小限にすることが目的であったならまだしても(それでも許されるわけではありませんが)、戦後のソ連に優位に立つためというなんとも浅ましい目的のために何十万ものかけがえのない命が奪われたのです。

広島・長崎の悲劇のその裏にアメリカの大罪があったことを日本人が知らない限り、彼らの多大なる犠牲も、単にアメリカの軍事力の発展のために捧げられた「生贄」となってしまうわけです。

もっとも、アメリカを憎んでもなんにもなりません。

アメリカという国家を超える超国家のグループが原爆の開発を進め、巨額の金と利権を得ていたのですから。

アメリカすら駒として扱える人たちがいるのですから。

最後になりますが、広島、長崎、そして空襲で亡くなられた方たちに黙祷を捧げ、ご冥福をお祈りいたします。

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