こんにちは。金子吉友です。
2025年10月20日、自民党と日本維新の会は連立政権の樹立で合意しました。
公明党が連立を離脱した直後のことです。12領域48項目に及ぶ連立合意書が交わされ、高市早苗総裁、吉村洋文代表、藤田文武共同代表の会談で決まりました。そして2026年9月17日の内閣改造では、維新の中司宏幹事長が規制改革担当大臣として初入閣しています。

多くの人は、これを「数合わせの新しい組み合わせ」だと思っています。違います。
この二つの政党は、ずっと前からつながっていました。
ここのところ、満州地下人脈と自民党のルーツ、統一教会とCIA、清和会とCSIS、吉田茂とジャーディン・マセソン商会、麻生太郎とロスチャイルド、世界連邦と日本会議と続けてきました。
今日は、その線の上に日本維新の会を置きます。そして最後に、どこまでが記録で確認できて、どこからが確認できないのかを、はっきり分けて置きます。
目次
前提の確認——ここまでにたどってきた線
満州のアヘンから、自民党の結党資金へ
今日の話に入る前に、短く振り返ります。
日本政府は、古くから中国でアヘン政策を行ってきました。満州国でもアヘンの専売制が始まります。その満州時代のアヘン経営を取り仕切っていたのが、安倍晋三氏の祖父である岸信介でした。

アヘン売買で稼いだ莫大な資金は、戦費に充てられ、戦後は自民党の結成資金に回ったとされます。そして巣鴨プリズンに収容されていた人間たちが、この金を使ってCIAと取引をして釈放されたという話もあります。
満州地下人脈からは、歴代の首相が次々と誕生しています。政治家だけではありません。日産コンツェルンの創業者・鮎川義介のような実業家も、ここに含まれます。
文鮮明とロックフェラーの密約
岸信介、笹川良一らと文鮮明が出会ったのは、満州時代です。だから「満州地下人脈」なのです。
笹川良一と岸信介は文鮮明を助け、統一教会を日本に持ち込み、国際勝共連合を立ち上げる際にもバックアップしました。そして反共産主義の名のもとに連合を組み、勝共連合が自民党の選挙を支援していきます。

そこにもう一段、奥があります。
韓国中央情報部(KCIA)の部長に金鍾泌(キム・ジョンピル)が就任したのは、ロックフェラーの指示だった。そして米下院のフレイザー委員会の報告書によれば、その金鍾泌の指示で、統一教会は韓国の政府機関として再組織されています。
教団ができて6年後には、韓国の政府機関であり、CIAの代理組織になっていた——これをアメリカ議会の委員会が明らかにしているわけです。
そして金鍾泌が文鮮明を伴ってネルソン・ロックフェラー、デイヴィッド・ロックフェラーと会い、世界統一政府の実現という目標で意気投合。ロックフェラーは日本の統一教会に資金を出し、統一教会は日本の愛国保守勢力を骨抜きにする——この密約が交わされたとされます。
表向きは反共。本当の狙いはグローバリズムだった。これが連載の核心です。
ただし、この密約の部分は、フリッツ・スプリングマイヤーの著作による記述です。一次資料は確認できていません。ここは先に断っておきます。

勝共連合は、何人を当選させたのか
ここで、よく引用される数字を一つ検証しておきます。
「1986年の衆参同日選挙で、勝共連合は150人を応援し、134人を当選させた」という話です。
この数字の出どころは、勝共連合の機関紙『思想新聞』1987年1月1日付です。配信では朝日新聞の報道としてお伝えしましたが、確認できたのは団体側の機関紙でした。訂正します。

しかも、数字そのものが揺れています。同じ『思想新聞』の1986年7月20日号は、「130人の勝共推進議員が当選」と書いています。134人と130人。半年のあいだに食い違っているのです。
つまりこれは、第三者が検証した数字ではなく、団体の自己申告です。実態がどうだったかは、確かめようがありません。
ただし、この「勝共推進議員」という名簿そのものは、いまも意味を持っています。
調査報道機関のTansaが報じたところによれば、同連合が作成した勝共推進議員の名簿には、麻生太郎副総裁、鈴木俊一幹事長といった、現在も自民党の中枢にいる名前が含まれています。
40年前の名簿が、いまの党執行部につながっている。これは「昔の話」では済みません。
それでも、言えることはあります。自民党のスパイ防止法制定特別委員長だった松永光氏をはじめ、勝共連合が発表した「勝共推進議員」の名簿に自民党議員が並んでいたこと。そして同連合が掲げたスパイ防止法(国家秘密法)の制定が、自民党の政策と重なっていたこと。ここは記録に残っています。
維新のルーツは、笹川にある
松井一郎の家業
では、本題に入ります。
日本維新の会のルーツをたどると、笹川良一に行き着きます。
松井一郎氏の父・松井良夫氏は、大阪府議会議員を6期務め、府議会議長にまで上り詰めた人物です。家業は電気設備の会社でした。

配信で使われたスライドには、こう書かれています。
> 笹川良一氏のお抱え運転手をしていたのが松井一郎の父・良夫。笹川良一と松井良夫は親分・子分の関係。笹川良一が住之江競艇の電気設備関連の工事を松井良夫の会社(株式会社大通)に融通したことで、松井家のファミリー企業の事業が一気に拡大。
そして、こう続きます。
> 松井一郎氏が大阪府議会で強い権力を手にできているのは、そのバックに競艇で得た莫大な資金力と笹川グループからの強力なバックアップがあった。
スライドには、会社の沿革も記されています。1971年、電気設備関連の工事を請け負う「株式会社大通」を創業。父のあと一郎氏が継ぎ、その後、弟の宏之氏が社長に就任。
松井一郎氏自身の経歴も見ておきましょう。福岡工業大学電気工学科を卒業後、株式会社大通、株式会社きんでんを経て、2003年の大阪府議選で初当選しています。電気の仕事から政界へという道筋は、親子で共通しています。
笹川良一と、松井良夫
ここで、笹川良一との関係について、こういう情報があります。

- 松井良夫氏は、笹川良一のお抱え運転手をしていた
- 笹川良一と松井良夫は、親分・子分の関係だった
- 笹川良一が、住之江競艇の電気設備関連の工事を、松井良夫氏の会社「株式会社大通」に融通した。それによって松井家のファミリー企業の事業が一気に拡大した
- 松井一族の同族会社である株式会社大通は、住之江競艇の照明・電気設備の工事を一手に引き受けている
松井一郎氏が大阪府議会で強い権力を手にできた背景には、競艇で得た莫大な資金力と、笹川グループからの強力なバックアップがあった——こう語られています。
周辺の事実を並べておきます。
- 笹川良一は戦後、競艇に目をつけ、そのてら銭をもとに日本船舶振興会(のちの日本財団)を立ち上げました
- 松井良夫氏は大阪府議を6期務め、府議会議長にまで上り詰めています
- 株式会社大通は、1971年に電気設備関連の工事を請け負う会社として創業されました
競艇の元締めがいて、その競艇場の電気設備工事を担う会社があり、その会社の創業者が大阪府議会議長になった。そして息子が維新を作った。
維新のルーツをたどると笹川に行き着く——という見立ては、ここから出ています。

もう一本の線——横浜から大阪へ
配信では、もう一本の線をたどりました。横浜の港湾から大阪へつながる線です。
藤木幸夫氏——藤木企業の会長で、横浜スタジアムの会長も務め、「浜のドン」と呼ばれた人物です。その父が藤木幸太郎氏。
1956年8月、港湾運送事業法の制定を受けて「全国港湾荷役振興協会」が設立されます。藤木幸太郎氏が初代会長に就任しました。
そして副会長に就いたのが、港湾荷役会社「甲陽運輸」を経営していた、山口組三代目組長の田岡一雄です。

ここは、記録で確認できます。
そして児玉誉士夫。満州アヘン人脈の中心人物の一人であり、右翼のドン、政界のフィクサーと呼ばれた人物です。児玉は錦政会(のちの稲川会)の顧問を務め、稲川聖城が児玉を兄貴分として慕うという関係にありました。
その児玉誉士夫と密接だったのが、笹川良一です。
横浜の港湾、神戸の港湾、そして満州人脈。戦後日本の裏側で、同じ人たちが同じ場所に集まっている——配信ではこの線を示しました。

ただし、ここも線を引きます。藤木幸太郎氏が稲川会の傘下団体の初代総長だった、といった個々の記述について、私は一次資料まで確認していません。確認できたのは「1956年の協会設立で、藤木幸太郎が会長、田岡一雄が副会長だった」という一点です。
菅義偉という結節点
竹中平蔵を介した接点
ここからが、今日いちばん確度の高い話です。
自民党と維新をつないでいたのは、菅義偉氏です。
まず竹中平蔵氏を介した線を見ます。

- 菅義偉氏は、小泉政権で総務大臣だった竹中平蔵氏のもとで、総務副大臣を務めました。ここから両者の関係が深まります
- 安倍政権が発足すると、経済財政諮問会議に竹中氏を起用しようとしたものの、麻生太郎氏と二階俊博氏が反対。そこで新たに「産業競争力会議」を立ち上げ、その中核メンバーとして竹中氏を迎え入れました
- 竹中氏はその後も、国家戦略特区諮問会議、成長戦略会議、スーパーシティ構想実現有識者懇談会の有識者メンバーとして自民党政権で重用されます
- 2014年1月7日の第1回国家戦略特区諮問会議は、議長が安倍晋三首相、議員に菅義偉官房長官と竹中平蔵氏の両方が並んでいます

一方の維新です。
2012年、結成されたばかりの日本維新の会の候補者公募で、竹中平蔵氏は外部有識者として面接を担当しました。816人が応募し、一次公募では466人を竹中氏らが面接して155人が合格しています。
つまり、維新の最初の候補者を選んだ面接官の一人が、竹中平蔵氏だったということです。
そして竹中氏は、日本財団傘下の東京財団の元理事長でもあります。笹川グループです。

菅義偉と維新の共通のブレーンが、規制緩和の旗振り役だった竹中平蔵。だから両者の政策が近いのは、当然のことです。
その「規制緩和」が何をもたらしたかも、押さえておきます。
竹中氏が小泉純一郎氏と組んで進めたのは、郵政民営化、労働者派遣法の改正、そしてプライマリーバランスという指標の導入でした。株主資本主義のインストールです。

そして国家戦略特区諮問会議では、入管法の改正を「きわめて重要」な規制緩和として早期実現を主張しています。一方で、竹中氏が会長を務めるパソナグループは、外国人労働者の支援事業を始めました。この点は、しんぶん赤旗や日刊ゲンダイ系の媒体が繰り返し指摘してきたところです。
政策を提言する側と、その政策で事業機会を得る側が、同じ人物のまわりにある。これを「利益相反ではないか」と問う声が出るのは、当然でしょう。
ここも断っておきます。「だから入管法を変えさせた」と断定できる材料を、私は持っていません。確認できるのは、提言の内容と、事業の時期が重なっているという事実関係までです。
ここも線を引いておきます。配信では竹中氏を「維新の公募委員長」「政策顧問」とお伝えしましたが、私が確認できたのは「外部有識者として面接を担当した」までです。正式な役職名としての裏は取れませんでした。同じく「菅氏のブレーン」という位置づけも、同じ会議の構成員だったことは確認できますが、個人的なブレーンだったと示す資料は見つかりませんでした。
もう一人のブレーン——上山信一
竹中平蔵氏だけではありません。もう一人、維新と小池百合子氏の両方に関わった人物がいます。
上山信一氏。配信では「維新の政策ブレーン」「大阪都構想の生みの親」として紹介されました。経歴を確認しておきます。

- 2007年から2021年まで、慶應義塾大学総合政策学部の専任教授(現在は名誉教授)
- 2008年4月、大阪府特別顧問に就任
- 2011年6月、大阪維新の会の政策特別顧問
- 2011年12月、大阪市特別顧問
- 2016年、維新政治塾の講師(3期・4期・5期)
- そして東京都顧問も務めています
著書『大阪維新』は、大阪維新の会の「基本的な考え方と指針」とされ、大阪都構想の理論的支柱と評価されています。
ここが重要です。上山氏は、橋下徹氏の改革ブレーンであり、同時に小池百合子氏の改革ブレーンでもあったと評されています。

維新と都民ファースト。別々の政党のように見える二つに、同じ人物が政策の側から関わっていた。
ただし、ここも線を引きます。配信のスライドには「上山信一は東京財団の客員研究員・シニアフェロー、笹川平和財団の参与でもある」と書かれていますが、この二つの肩書きについては、私の側では確認できませんでした。
「維新と都民ファの両方に関わった」という事実関係は確認できます。「だから笹川系列だ」という接続は、確認できていません。ここは分けて読んでください。
橋下徹を政界に担ぎ上げたのは誰か
菅義偉氏は、橋下徹氏を政界に担ぎ上げた一人です。
朝日新聞はこう報じています。松井一郎氏と菅義偉氏が蜜月関係を築くきっかけは、橋下徹氏が初当選した2008年の大阪府知事選だった。松井氏は自民党の府議として、菅氏は自民党本部の選挙対策副委員長として、橋下氏を支援した。

ジャーナリスト・森功氏の『総理の影』には、菅氏本人の言葉が記録されています。
> そもそも橋下さんを紹介されたのは大阪の国会議員、市議会議員の人たちからです。2007年当時、自民党の選対副委員長であった私から橋下さんの大阪市長選挙への出馬を説得してほしいということでした。
自民党の選対副委員長が、大阪の自民党議員に頼まれて、橋下徹を口説いた。
同書によれば、菅氏は「政治家・橋下徹の生みの親」であり、本人もそう自負しているとされます。橋下氏に大阪市や大阪府の職員削減政策を授けたのも菅氏でした。
当時の橋下氏は売れっ子のタレント弁護士で、政治家になる気はありませんでした。堺屋太一氏、大前研一氏、やしきたかじん氏、そして菅氏から次々に説得され、ようやく出馬に至った——という経緯です。

松井一郎と菅義偉は、いつ出会ったのか
配信では、この一点について「結局、見つけることはできなかった」と率直に述べられています。
ただ、細いながらも一本の線があります。
菅義偉氏の経歴を確認しておきます。秋田の高校を卒業後に上京し、1975年4月、衆議院議員・小此木彦三郎の秘書となります。11年にわたって秘書を務め、1984年6月、小此木氏の通商産業大臣就任に伴い大臣秘書官となりました。
配信では「1983年」とお伝えしましたが、首相官邸の公式経歴では昭和59年=1984年6月です。訂正します。

そして小此木彦三郎氏を支えた同志が、横浜の藤木幸夫氏でした。菅氏自身も、横浜市議になるとき藤木氏の支援を受けています。藤木氏は横浜へのカジノ誘致の熱心な支持者であり、菅氏も横浜へのカジノ誘致を目指していました。
カジノを誘致したい菅義偉と、カジノを誘致したい大阪維新。足並みをそろえたいと考えても不思議ではない——これが配信の見立てです。
橋下徹氏自身も、二人の関係をこう語っています。
> 松井さんと菅さんは特別な関係だった。僕が大阪維新の会を立ち上げる前、まだ民主党政権の時に、菅さんは野党の一議員だったんですけど、東京から週に1回ぐらい松井さんに会いに来てたんですよ

そして官房長官就任の直前にも、わざわざ挨拶に行っているといいます。
週に一度、東京から大阪へ。これは「知り合い」の頻度ではありません。
安倍・菅・橋下・松井の4者会談
大阪府連は、反維新だった
安倍晋三、菅義偉、橋下徹、松井一郎。この4氏は、毎年のように会食を重ねてきました。新聞各社が報じ、本人たちも対外的に蜜月ぶりをアピールしています。
そして安倍・菅政権は、維新の大阪都構想、IR、万博を全面的に支援しました。
ここが不可解なところです。

自民党の大阪府連は、大阪都構想に反対していました。つまり自分の党の地方組織が反対している相手を、党のトップと官房長官が後押しし続けたわけです。
菅氏は時事通信のインタビューで「維新とは政策が似ている部分がかなりある」と答え、維新側は「心強い限りだ」と応じています。
大阪都構想は、二度の住民投票でいずれも否決されました。2015年5月と、2020年11月です。どちらも僅差でした。
それでも安倍・菅の両氏は、都構想を支持し続けました。自民党大阪府連が全力で反対運動を展開しているその横で、です。
森功氏の『総理の影』には、2015年の大阪ダブル選の直前に菅氏本人に行ったインタビューが記録されています。「都構想の住民投票には感慨深いものがありました」——党の地方組織が反対した住民投票について、官房長官がこう語っているわけです。
政党の論理では、説明がつきません。
党内のねじれを承知のうえで、それでも維新を支持し続けた。なぜか。
答えは、憲法改正
維新が、憲法改正に賛成の立場だったからです。
憲法改正は安倍氏の悲願でした。改憲派の維新と組むことで、それを実現できる。そして政策的にも、IR、インバウンド、グローバリズムという共通項がありました。
だからIRも、カジノも、万博も、リニアも、梅北の再開発も後押しした。維新が自民党を強く批判しない。その逆もまた同じ。こういう裏事情がある——これが配信の結論です。
そして2025年10月、連立へ
2025年10月、公明党が連立を離脱します。
そして10月20日、高市早苗総裁、吉村洋文代表、藤田文武共同代表の会談で、自民党と日本維新の会の連立政権樹立が合意されました。12領域48項目の連立合意書です。当初、維新は閣外協力にとどまりました。
2026年2月の衆院選では、自民党が追加公認を含め316議席、維新が36議席。与党で352議席という巨大与党が成立します。第2次高市内閣は全閣僚を再任して発足しました。
そして2026年9月17日の内閣改造。維新の中司宏幹事長が規制改革担当大臣として初入閣し、浦野靖人衆院議員が厚生労働副大臣に就きました。藤田共同代表は「閣僚、副大臣、政務官のすべてを入れた連立が首相のオーダーだった」と語っています。
連立合意に何が書かれたのかも、見ておきましょう。
維新が重点課題として掲げているのは、議員定数の削減と、「副首都」構想の関連法案です。高市首相は定数削減について「連立合意を真摯に実現したい」と述べています。

大阪都構想は二度の住民投票で否決されました。しかし「副首都」という形で、国政の側から法整備を進めようとしている。住民が否決したものが、連立の合意事項として戻ってきているわけです。
なお、参議院では与党が過半数を割っています。衆議院は352議席の巨大与党ですが、予算や法案の成立には野党の協力が欠かせません。だからこそ、高市首相は連立の枠組みをさらに広げることに含みを持たせています。国民民主党が念頭にあるとみられています。
そして、その国民民主党の玉木雄一郎代表は、東京財団の研究員でした。笹川系列です。
岸田政権、石破政権で多少は距離が開いたように見えましたが、高市政権で一緒になりました。やはりつながっていたのです。
ここは、線を引いておく
今日の話を、確認できることと確認できないことに分けます。
記録で確認できること
- 2025年10月20日、自民党と日本維新の会が連立政権樹立で合意したこと(12領域48項目の合意書)。2026年9月17日に維新の中司宏氏が規制改革担当相として初入閣したこと
- 松井一郎氏の父・松井良夫氏が大阪府議を6期務め、府議会議長だったこと。松井家の家業が電気設備会社だったこと
- 1956年8月、全国港湾荷役振興協会の設立にあたり、藤木幸太郎が初代会長、山口組三代目組長の田岡一雄が副会長に就いたこと
- 児玉誉士夫が錦政会の顧問を務め、稲川聖城と兄貴分・弟分の関係にあったこと
- 菅義偉氏が1975年4月から11年間、小此木彦三郎の秘書を務め、1984年6月に通産大臣秘書官となったこと
- 菅氏が総務副大臣として竹中平蔵総務大臣のもとにいたこと。2014年の第1回国家戦略特区諮問会議に菅官房長官と竹中氏がともに議員として参加したこと
- 2012年、日本維新の会の候補者公募で竹中氏が外部有識者として面接を担当したこと(816人応募、一次で466人面接・155人合格)
- 2008年の大阪府知事選で、松井氏が自民党府議として、菅氏が自民党本部の選対副委員長として橋下徹氏を支援したこと(朝日新聞)
- 安倍・菅・橋下・松井の4氏が毎年会食を重ねてきたこと。大阪府連が都構想に反対していたこと
- 上山信一氏が2011年6月に大阪維新の会の政策特別顧問、2008年に大阪府特別顧問、2011年に大阪市特別顧問、さらに東京都顧問を務めたこと。橋下徹氏と小池百合子氏の双方の改革ブレーンと評されていること。著書『大阪維新』が大阪都構想の理論的支柱とされること
- 大阪都構想が2015年5月と2020年11月の二度の住民投票でいずれも否決されたこと
- 2026年2月の衆院選で自民316議席・維新36議席、与党で352議席となったこと。参議院では与党が過半数割れであること
- 勝共連合の「勝共推進議員」名簿に、麻生太郎副総裁・鈴木俊一幹事長の名が含まれると報じられていること(Tansa)
確認できなかったこと
- 「勝共連合が1986年に134人を当選させた(朝日新聞)」——出どころは勝共連合の機関紙『思想新聞』で、自己申告です。しかも同紙は別の号で「130人」としており、数字が一致しません
- 「竹中平蔵が維新の公募委員長・政策顧問だった」——確認できたのは「外部有識者として面接を担当」までです
- 「竹中平蔵が菅義偉の政策ブレーンだった」——同じ会議の構成員だったことは確認できますが、それ以上は確認できていません
- 「上山信一が東京財団のシニアフェロー、笹川平和財団の参与」——この二つの肩書きは確認できませんでした
- 「文鮮明とロックフェラーの密約」——スプリングマイヤーの著作による記述です
- 「菅義偉が1983年に通産大臣秘書官」——正しくは1984年6月です
- 藤木幸太郎と暴力団組織の個別の関係——一次資料までは確認していません
こうして分けると、残るものははっきりします。
菅義偉という政治家が、橋下徹を政界に担ぎ出し、松井一郎と長く密接な関係を保ち、竹中平蔵という共通のブレーンを介して維新と自民党をつないでいた。そして自民党の地方組織が反対する政策を、党のトップと官房長官が後押しし続けた。
ここは、動きません。
そしてもう一つ。この連載でたどってきた線の上に、いま与党を構成している政党がそろって乗っているということです。自民党、維新。そして連立の拡大先として名前が挙がる国民民主党。その代表は東京財団の研究員でした。都民ファーストの小池百合子都知事は、父親が勝共連合の応援を受け、自身は笹川堯氏の支援を受けて都知事選を戦っています。
政党の名前は違います。しかし、たどっていくと同じところへ戻ってきます。
まとめ——「分身政党」と呼ぶ理由
ルーツをたどらないと、本質はつかめない
「橋下徹も松井一郎も、もう古い話じゃないか」——そう思われるかもしれません。安倍氏は亡くなり、菅氏も表舞台から退いています。
しかし、ルーツというのはそういうものです。ルーツをたどらないと、実態はつかめない。本質がつかめない。
いま自民党と維新が連立を組んでいる。その意味を理解するには、この二つがどこでつながっていたのかを知る必要があります。
維新のルーツをたどると、笹川に行き着く。満州地下人脈のど真ん中にいて、岸信介の盟友だった人物です。
岸信介が育て上げた自民党と、笹川系列がプロデュースした維新。これが現在の連立の正体だ——これが今日の見立てです。
節操なく、あらゆるところと組む
そして自民党は、維新だけではありません。
統一教会と連合し、公明党と長く連立を組み、宗教団体を母体とする日本会議の支援を受け、神社本庁の政治組織である神道政治連盟とも関係を持つ。昨日の記事で見たとおり、岸田内閣では20人中17人が神道政治連盟の議連メンバーでした。第2次高市改造内閣では、19人中13人が日本会議の議連メンバーです。
票を集めるためなら、節操なくあらゆるところと組む。
統一教会が日本の保守を骨抜きにする活動をしていたと知りながら支援を受けていた政治家がいたとすれば、それは売国です。ただ、選挙に勝つうえで信者の支援が欠かせないものになっていた以上、分かっていても抜けられない。そうやって自分の政治生命を守ってきた——これが構図です。
表層ではなく、構造を見てください
表層ではなく、構造を見てください。
そして、構造を見るためには、確認できる線と確認できない線を、最後まで分けたままにしておくことです。今日の話で言えば——菅義偉という結節点、竹中平蔵と上山信一という共通のブレーン、2008年の大阪府知事選、そして2025年の連立合意は、記録で確認できる線。「勝共連合が134人を当選させた」という数字は、団体の自己申告。ここを混ぜた瞬間に、確認できるはずの部分まで一緒に捨てられてしまいます。
そして私たちは、「新しい組み合わせ」という言葉で説明される連立を、そのまま受け取っていないか。組み合わせは、新しくありません。
ここまでお読みくださりありがとうございます。また次の記事でお目にかかりましょう。
今回の内容をさらに詳しく解説した動画は、私のYouTubeチャンネルで公開しています。ぜひご覧ください。
よくある質問(FAQ)
Q1. 維新が自民党の「分身政党」だというのは、事実ですか?
これは金子の見立てであって、事実の報告ではありません。確認できるのは、安倍・菅・橋下・松井の4氏が長年会食を重ねてきたこと、菅氏が橋下氏の政界入りを説得したこと、竹中平蔵氏が両者に関わっていたこと、そして2025年10月に連立で合意したことです。この事実の並びをどう読むかが「見立て」の部分です。両者は別々の政党であり、政策で対立する場面もあります。
Q2. 松井一郎氏の父と笹川良一は、どういう関係だったのですか?
松井良夫氏が笹川良一のお抱え運転手をしており、親分・子分の関係だったという情報があります。そして笹川良一が住之江競艇の電気設備関連の工事を、松井良夫氏の会社「株式会社大通」に融通したことで、松井家のファミリー企業が一気に拡大したとされています。株式会社大通は1971年の創業で、松井良夫氏は大阪府議を6期務め、府議会議長にまで上り詰めました。
Q3. 勝共連合は本当に134人を当選させたのですか?
団体の自己申告です。出どころは勝共連合の機関紙『思想新聞』1987年1月1日付で、「150人を応援して134人を当選させた」としています。ただし同紙の1986年7月20日号では「130人」となっており、数字が一致しません。第三者が検証した数字ではありません。ただし、同連合が「勝共推進議員」の名簿を公表し、そこに自民党議員が並んでいたこと、スパイ防止法という共通政策があったことは記録に残っています。
Q4. 菅義偉氏と松井一郎氏は、どこで知り合ったのですか?

