こんにちは。金子吉友です。
2005年の郵政選挙のとき、ある広告会社が作った企画書がありました。
そこには、有権者を4つの層に分類した表が載っていました。
そして政権が狙うべき相手として名指しされていたのが、「構造改革に積極的だが、具体的なことはよく分からない層」でした。
呼び名は、B層といいます。

さらに驚くのは、その企画書が、B層についてこう書いていたことです。
「郵政の現状サービスへの満足度が極めて高い」。
満足している人たちに、変える必要があると思わせる。それが戦略でした。
昨日の記事では、竹中平蔵氏がどこから来たのかを加藤寛という人物からたどりました。今回は、その続きです。郵政民営化がどうやって世論を得たのか、そして誰がその入り口を作ったのかを見ていきます。
今回の中心人物は、堺屋太一です。
目次
前提の確認——ここまでにたどってきた線
本題に入る前に、この連載でたどってきた線を短くおさらいします。

日本政府の阿片政策は1894年前後に始まり、1933年には満州で阿片の専売が始まりました。その密売で得た莫大な資金が戦費に充てられ、戦後は自民党の結党資金や巣鴨プリズンからの釈放工作の資金になったとされます。その中心にいたのが岸信介であり、盟友の児玉誉士夫、笹川良一がここに連なります。
この満州人脈からは、歴代の総理大臣が続々と出ました。
そして文鮮明は、満州時代に岸信介・笹川良一とつながっていたとされます。両者は反共産主義の名のもとに結託し、韓国と日本で国際勝共連合が発足。その選挙支援を受けて、自民党の多くの議員が当選していきました。

笹川系列をたどると、現在につながります。
- 笹川陽平(日本財団名誉会長)は、自分の別荘に歴代総理を一度に集められる人物
- 笹川良一のお抱え運転手だった人物の子息が、松井一郎(大阪維新の会の創設者)
- 日本財団傘下の東京財団からは、竹中平蔵と玉木雄一郎
- 小池百合子氏の選挙では、笹川良一の次男が応援演説に立った。小池氏の父・勇二郎氏も勝共連合の支援を受けて選挙に出ている
- 2026年9月の内閣改造では、笹川良一の孫である笹川博義氏が環境大臣に初入閣
そして統一教会については、アメリカ下院のフレーザー委員会の報告書に、韓国のKCIAによって再組織されたと記されています。文鮮明は1960年代前半に渡米し、KCIAのキム・ジョンピル長官とともに、ネルソン・ロックフェラー、デイヴィッド・ロックフェラーと会談したとされます。
表向きは反共産主義の国際勝共連合を立ち上げて自民党の選挙を支え、裏側では世界統一政府というグローバリズムの共通目標を掲げ、日本の愛国保守を骨抜きにする——そういう密約があったとされています。
さらに付け加えると、笹川良一の盟友だったのが、イギリス笹川財団の議長を務めたロバート・マクスウェルです。その娘がギレーヌ・マクスウェルであり、その愛人がジェフリー・エプスタインでした。
この線の上に、郵政民営化が乗っています。
企画書に書かれていた「B層」
スリード社の戦略案

2005年の郵政選挙の際、「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」という文書が作られました。作成したのは有限会社スリードという広告会社です。
この文書には、有権者を縦軸と横軸で分類した表が載っていました。
- 縦軸——知的水準(IQ)
- 横軸——構造改革に対する姿勢
そして4つの層に分けられます。
- A層——知的水準が高く、構造改革に積極的
- B層——知的水準が低く、構造改革に積極的
- C層——知的水準が高く、構造改革に消極的
- D層——知的水準が低く、構造改革に消極的

この企画書は、国会でも取り上げられました。
2005年6月29日の衆議院の特別委員会で、日本共産党の佐々木憲昭委員がこの戦略案を示し、郵政民営化担当大臣だった竹中平蔵氏に見解を問うています。
竹中氏の答弁はこうでした。
「民間の企業の企画書でございますから、私はコメントをする立場にはございません。政府としては、そのような話を政府の中でしたという事実もございません」
つまり、政府の関与は否定されています。ここは押さえておきます。
※参照:衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 議事録 https://www.shugiin.go.jp/
狙うべき相手として名指しされた層

企画書が支持基盤として位置づけたのが、B層でした。
そこに具体的に挙げられていたのが、こういう人たちです。
- 主婦層
- 子供を中心とした層
- シルバー層
- 具体的なことは分からないが、小泉総理のキャラクターを支持する層
- 内閣閣僚を支持する層
「自民党をぶっ壊す」というスローガンは分かりやすい。話も分かりやすい。構造改革には賛成。日本の不況を吹き飛ばしてほしい——そういう受け止め方をした人たちです。
悪意があってそうなったわけではありません。分かりやすいメッセージに、素直に反応しただけです。問題は、そこを狙って設計されていたという一点にあります。
企画書が認めていた「満足度が極めて高い」
ここが、私がいちばん引っかかるところです。

企画書は、B層についてこう書いていたとされます。
最も重要な点は、「郵政の現状サービスへの満足度が極めて高いこと」である。
つまり、現状に満足している人たちだということを、作った側は分かっていた。
それなのに、その人たちにこそ集中的に働きかけよ、と提言している。
郵政を変える必要などない、と当の利用者が感じている。にもかかわらず、変えなければならないと思わせる。これが「B層プロモーション」です。
改革の必要性を何ら感じていない相手に、改革を支持させる。そういう設計でした。
なお、この「IQ」という言い方については、線を引いておきます。企画書の表そのものにどう書かれていたかと、後年の評論がそれをどう紹介したかは、資料によって説明に幅があります。この分類が存在したことと、B層が支持基盤として位置づけられていたことは、国会質疑を通じて確認できます。
この件を詳しく扱っているのが、中野剛志氏の『日本の没落』です。本記事の以下の整理も、同書の指摘に多くを負っています。
掲げられたメリットは、どうなったか
竹中平蔵が示した4つのメリット

郵政民営化担当大臣だった竹中平蔵氏は、民営化のメリットとして次の4点を挙げていました。
- ① 350兆円という膨大な郵貯・簡保の資金が、官のお金から民のお金になる
- ② 全国津々浦々の郵便局の窓口が、もっと便利になる
- ③ 国家公務員を3割削減し、小さな政府を実現する
- ④ 見えない国民負担が最小化される
では、実現したでしょうか。
20年近く経ったいま、どれひとつとして、約束どおりにはなっていません。

郵便局の窓口は便利になったでしょうか。むしろ地方では、窓口の時間短縮や取り扱い業務の縮小が進み、サービスは低下したという声のほうが多く聞かれます。
そして中野氏が指摘するのは、さらに踏み込んだ点です。
単に実現しなかったのではなく、最初から事実ではないことが明らかだったものが含まれている、ということです。
郵便貯金は、すでに切り離されていた

①について、事実関係を確認します。
2001年4月1日、中央省庁等改革の一環として財政投融資制度の抜本的改革が行われました。これにより、郵便貯金と郵便振替の資金を資金運用部へ預託する制度が廃止され、自主運用へ移行します。
つまり、郵政民営化を待つまでもなく、「官が集めて官が配る」という仕組みからの切り離しは、すでに始まっていたのです。
ただし、ここは正確に書きます。預託の廃止は2001年4月ですが、すでに預託されていた資金は預託期間(7年)が満了するまで残され、全額が自主運用になるのは2009年度からでした。経過措置の期間中、郵貯資金は財投債の一部を引き受けてもいます。
それでも、「郵貯の資金が官に握られたままだから民営化が必要だ」という説明は、2005年の時点ですでに実態とずれていた、ということになります。
※参照:日本郵政「日本郵政グループのあゆみ」 https://www.japanpost.jp/corporate/milestone/chronicle/
税金は投入されていなかった

③と④についても、前提が違っていました。
郵政事業に従事する職員の給与は、郵政事業の収益から支払われていました。税金が投入されていたわけではありません。だとすれば、その職員を減らしたところで、国の財政が直接軽くなるわけではないということになります。
「国家公務員を3割削減して小さな政府を実現する」という言い方は、聞くと財政が改善しそうに響きます。しかし**実態は、独立採算で回っていた事業の人員を、国の人数の勘定から外す、という話に近かったのです。

そもそも、日本は「大きな政府」だったのでしょうか。
公務員数の国際比較には、各国の制度の違いや数え方の問題があり、単純な比較は難しいという注意が必要です。それでも、人口あたりの公務員数で日本が主要先進国のなかで少ない部類に入るという傾向は、複数の資料で一貫して見られます。
前田健太郎氏の『市民を雇わない国家』(東京大学出版会)は、日本の公務員数が先進国のなかで極端に少ないことを各種資料から確認し、外郭団体や政府系企業の職員を加えて数えても、国際比較で見た評価はほとんど変わらないと論じています。
つまり、日本はすでに「小さな政府」でした。
田原総一朗の証言

そして、ここが最も重いところです。
ジャーナリストの田原総一朗氏の証言によれば、郵政民営化担当大臣に任命された当時の竹中氏は、郵政民営化は必要ないということを知っていたとされます。
もしそうであるなら、話の意味が変わります。
政策判断を誤ったとか、事実認識が甘かったという話ではなく、分かったうえで違う説明をしていたということになるからです。
そして、中野氏はもう一点を書き添えています。その告白を聞いたはずの田原氏自身が、テレビで郵政民営化を煽りに煽った、と。
当時の新聞やテレビの大半は、民営化を先導しました。事実関係の確認や検証を怠り、反対した人たちの主張を公平には扱わなかった。小泉政権の政治は、ポストトゥルースの政治の先駆けだった——これが中野氏の評価です。
「ポストトゥルース」は、2016年にオックスフォード大学出版局が「今年の言葉」に選んだ言葉です。客観的な事実よりも、感情や個人的な信条のほうが世論形成に大きな影響を及ぼす状況を指します。
堺屋太一という入り口
では、竹中平蔵という人物を、誰が政治の中枢に連れてきたのか。

まず、経歴を押さえる
堺屋太一(1935〜2019)。大阪生まれ、東京大学経済学部卒。
- 1960年4月——通商産業省に入省
- 1962年——通商白書で「水平分業論」を打ち出す
- 1970年——大阪万博を提案し、企画・実施に携わる
- 沖縄開発庁への出向を経て、沖縄海洋博も担当
- 1975年——在職中に『油断!』で作家デビュー
- 1978年——通産省を退官。その後『団塊の世代』がベストセラーに
- 1998年7月〜2000年12月——小渕内閣・森内閣で経済企画庁長官
- 2000年〜——内閣特別顧問
- 2013年——安倍内閣の内閣官房参与
- 2019年2月8日——多臓器不全のため83歳で死去

「団塊の世代」という言葉を作った人物であり、大阪万博を提案した人物でもあります。
肯定的なイメージを持っている方は、多いと思います。私もその功績そのものを否定するつもりはありません。
しかし、公人としての責任という観点で見ると、別の側面が出てきます。
1998年、一本の電話

1998年7月、経済企画庁長官となった堺屋氏は、小渕内閣の新しい試みとして経済戦略会議を立ち上げます。
その中心メンバーとしてスカウトされたのが、竹中平蔵氏でした。
評論家の佐高信氏の寄稿には、堺屋氏が竹中氏に電話をかけて、こう説いたと記されています。
「小渕内閣の新しい試みとして経済戦略会議を創設することはご存じだと思います。ぜひそのメンバーとなって会議を引っ張っていってほしいんです」
この一本の電話が、入り口でした。

ここから先は、昨日の記事でたどったとおりです。
- 1998年——経済戦略会議の委員に
- 森内閣でも政府の会議に関与
- 2001年——小泉内閣の経済財政政策担当大臣に、民間から起用
- そして郵政民営化担当大臣へ
堺屋太一がいなければ、竹中平蔵は政治の中枢に入っていなかったかもしれない。
そういう意味で、ここが最初の分岐点です。
2007年11月、帝国ホテルの4時間
そしてもう一人。

2007年11月ごろ、大阪の帝国ホテルの会議室。
テーブルの上のコーヒーを飲みながら、堺屋氏は目の前の38歳の弁護士にこう言いました。
「橋下さんの人生の一部を大阪に使ってくれないかな」
橋下徹氏自身が後に、「それが僕が政治家人生を歩むきっかけだった」と語っています。
経緯はこうです。
- 堺屋氏は通産省時代に大阪万博を提案し、大阪の発展に貢献した。しかしその後の中央集権化・東京一極集中・二重行政などで大阪が衰退していく現実を憂いていた
- 大阪再生を託せるリーダーが現れるのを待っていた
- 大阪のテレビ番組でタレント弁護士として人気のあった橋下氏について「仕事の早い弁護士がいる」という評判を耳にする
- 面識はなかったが、堺屋氏の側からコンタクトを取った
- 帝国ホテルでの会談は4時間に及び、二人は意気投合
- 橋下氏は2008年1月の大阪府知事選挙への出馬を決意

佐高信氏は、この二人を指して「竹中平蔵と橋下徹という双子の弟子」と書いています。
竹中平蔵を自民党政権の中枢に入れ、橋下徹を政界に引き入れた。その両方をやったのが、堺屋太一という一人の人物だったということです。
道州制という共通項

橋下氏が影響を受けた相手を並べると、ある共通点が出てきます。
- 大前研一——日本連邦制、つまり道州制の構想。橋下氏はこの構想に強く影響を受けた
- 堺屋太一——地方分権と道州制に熱心だった
- 関西経済同友会——同じく地方分権・道州制を訴えてきた
日本維新の会の綱領や政策には、道州制という言葉が何度も出てきます。
なぜそこまで道州制にこだわるのか。人の線をたどると、答えが出てきます。橋下氏に影響を与えた人物も、支援した団体も、そろって道州制を掲げていたからです。
堺屋氏は、大阪府市の特別顧問も務めていました。維新との距離は、きわめて近いものでした。

そして2012年9月、旧日本維新の会の公募委員会です。
- 委員長——竹中平蔵
- 委員——堺屋太一
1998年に電話をかけた人と、受けた人が、14年後に同じ委員会に並んでいます。
竹中氏を維新に仲介したのが堺屋氏だった可能性は高いと、私は見ています。ただしここは私の推測です。二人が小渕内閣から関係を持っていたこと、堺屋氏が大阪と深く結びついていたこと、橋下氏を政界に引き入れたのが堺屋氏であったこと——この三つを並べたうえでの見立てです。
同じ手法が、大阪でもう一度使われた
2015年、大阪都構想の住民投票

維新と結びついた竹中氏は、新自由主義的な改革の青写真を持ち込みます。
- 各種の規制緩和
- 公共サービスの削減
- ベーシックインカム
- 道州制
そしてもう一つ、小泉政権で「大成功」した手法を持ち込んだのではないか——これが今回の核心です。
B層プロモーションです。

中野氏は、こう指摘しています。
政府や政党によるプロモーション戦略と、マスメディアによるポストトゥルースの大衆扇動は、2009年のいわゆる政権交代選挙や、2015年の大阪都構想をめぐる住民投票でも行われた、と。
そして、こうも書いています。
大阪都構想をめぐる住民投票の際、大阪維新の会の主張には事実とは異なるものが少なからず含まれていた。哲学者の適菜収氏によれば、大阪都構想を提唱した当時の橋下徹大阪市長は、確信犯的に虚偽を述べていたと。
手口が、そっくりなのです。
誰も検証しなかった

そして最大の問題は、ここです。
大阪都構想のフェイクニュースに関する批判や検証は、新聞やテレビといった主要なマスメディアではほとんど報じられなかった。大阪市民には、ほとんど知らされなかったと言ってよい。
中野氏は、この章をこう結んでいます。
これはデモクラシーの終わりである、と。
郵政選挙のときも、大阪都構想のときも、同じことが起きました。
- 分かりやすいスローガンが流れる
- メディアがそれを増幅する
- 反対側の主張は公平に扱われない
- 検証は、投票が終わったあとにしか出てこない
そして投票が終わったころには、誰も検証記事を読んでいない。
東京財団に、竹中平蔵が呼ばれた理由
最後に、昨日の記事の補足をしておきます。

前身は「国際研究奨学財団」
東京財団は、1997年7月1日に「国際研究奨学財団」として設立されました。日本財団(当時の日本船舶振興会)やボートレース関係法人等の出捐によるもので、1999年5月27日に「東京財団」へ改称されています。
笹川グループのシンクタンクです。
この財団の理事長に、竹中氏は1999年に就任します。昨日の記事では「初代理事長が誰だったか」という点を保留にしましたが、改称前の国際研究奨学財団の時期について、評論家の草柳大蔵氏が理事長であったとする情報があります。ただし財団の公開情報では確認できていませんので、ここは引き続き保留にします。
欲しかったのは、アメリカの人脈

では、なぜ竹中氏だったのか。
財団が欲しかったのは、彼が持っていたアメリカの学者ネットワークだったと、私は見ています。
- ローレンス・サマーズ
- ジェフリー・サックス
- フレッド・バーグステン
こうした名前と線がつながる人物は、当時の日本に多くありません。
喉から手が出るほど欲しいネットワークだった、ということでしょう。
なお、昨日の記事でも触れたとおり、竹中氏が慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)に迎えられたのは1990年です。招き入れたのが加藤寛でした。1996年は教授への昇任であって、帰国の年ではありません。アメリカと日本を行き来する生活を続けていた時期にあたります。
住民税をめぐる報道

その時期について、報じられてきたことがあります。
ジャーナリストの佐々木実氏の評伝『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(講談社、2013年。第45回大宅壮一ノンフィクション賞・第12回新潮ドキュメント賞を受賞)に書かれた内容です。
内容はこうです。
- 住民税は、1月1日時点で住民登録のある人に課される
- 1990年代前半の数年間、竹中氏は日米を行き来していた
- その時期、住民登録の抹消と再登録を繰り返していた、とされる
- 小泉内閣の閣僚となったあと、これが脱税にあたるのではないかと国会でも追及された
ここは、両論を書きます。
竹中氏本人はこれを否定しています。春学期は日本、秋学期はアメリカで教えており、1月1日には日本にいなかった、という説明です。税務当局や司法による認定は確認できません。「違法ではないが道義的にどうか」という評価もあれば、「住民登録の抹消と再登録を繰り返す手法は異例だ」という見方もあります。
事実として言えるのは、そういう報道と、本人の否認の両方が存在する、ということです。
ここは、線を引いておく

記録で確認できること
- 2005年の郵政選挙で「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」という文書が存在し、有限会社スリードが作成したとされること。2005年6月29日の衆議院の特別委員会で取り上げられ、竹中平蔵氏が「民間企業の企画書であり、コメントする立場にない。政府の中でそのような話をした事実もない」と答弁したこと
- 2001年4月1日の財政投融資制度改革で、郵便貯金・郵便振替の資金運用部への預託が廃止され、自主運用へ移行したこと。ただし既存の預託分は7年の経過措置があり、全額自主運用は2009年度からであること
- 日本の人口あたりの公務員数が、主要先進国のなかで少ない部類に入るという傾向(ただし各国の制度・算定方法の違いという留保がつく)
- 堺屋太一の経歴(1960年 通産省入省/1970年 大阪万博/1975年『油断!』/1978年 退官/1998年7月〜2000年12月 経済企画庁長官/2013年 内閣官房参与/2019年2月8日 死去)
- 2007年11月ごろ、大阪の帝国ホテルで堺屋氏が橋下徹氏に「橋下さんの人生の一部を大阪に使ってくれないかな」と語り、4時間の会談を経て橋下氏が2008年1月の大阪府知事選に出馬を決めたこと
- 2012年9月、旧日本維新の会の公募委員会の委員長が竹中平蔵、委員に堺屋太一がいたこと
- 東京財団が1997年7月1日に「国際研究奨学財団」として設立され、1999年5月27日に改称されたこと
- 佐々木実『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』が2013年に講談社から刊行され、大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞を受賞したこと
確認できなかったこと
- 「国際研究奨学財団の初代理事長は草柳大蔵」——そういう情報がありますが、財団の公開情報では確認できませんでした
- 「企画書の軸にIQという語が使われていた」——分類の存在は国会質疑から確認できますが、原文の表記と後年の評論による紹介のどちらに由来するかは、資料によって説明に幅があります
- 「堺屋太一が竹中平蔵を維新に仲介した」——二人の関係と時系列から見た私の推測であって、裏づけとなる資料は確認できていません

こうして分けても、残るものははっきりしています。
現状に満足している人たちを狙えと書かれた企画書があり、掲げられたメリットは実現せず、その前提のいくつかは当初から事実と違っていた。そして同じ手法が、10年後に大阪でもう一度使われた。
ここは、動きません。
まとめ——「改革」という言葉を、どう聞くか
誰が入り口を作ったのか

今回たどった線を、もう一度整理します。
- 1998年——堺屋太一が、竹中平蔵を経済戦略会議にスカウト
- 2001年——竹中平蔵が、小泉内閣の大臣に
- 2005年——郵政選挙。B層に焦点を当てた戦略案
- 2007年——堺屋太一が、橋下徹を政界に誘う
- 2012年——旧日本維新の会の公募委員会で、竹中平蔵と堺屋太一が並ぶ
- 2015年——大阪都構想の住民投票
一本の線でつながっています。
堺屋太一という人物を、私は「諸悪の根源」とまで言いました。すでに亡くなった方であり、その評価は厳しすぎると感じる方もいるでしょう。しかし、公人が公の場でしたことについては、亡くなった後も問われるべきだと私は考えています。功績を認めることと、責任を問うことは、両立します。
言葉が、中身の代わりになるとき

「改革」「民営化」「身を切る」——こうした言葉は、聞いた瞬間に良いものだと感じさせる力があります。
だからこそ、中身の説明の代わりに使われるのです。
そして言葉が中身の代わりになったとき、検証は後回しになります。検証記事が出るころには、投票は終わり、制度は動き出している。気づいたときには、戻せなくなっている。
表層ではなく、構造を見てください

「もう20年前の話ではないか」と思われるかもしれません。
しかし、手法は受け継がれています。
郵政選挙で成功した型が、大阪でもう一度使われた。そして同じ人物が、いまも政党のブレーンの位置にいます。
私たちにできることは、たぶん一つです。
分かりやすいスローガンが流れてきたとき、「これは誰が、何のために作った言葉なのか」と一度立ち止まること。
そして、こうも思うのです。
自分は賢いから大丈夫だ、と思っている人ほど、たぶん狙われています。
どの層に分類されるかではなく、言葉を受け取ったときに一度止まれるかどうか。そこだけが分かれ目なのだと思います。
よくある質問(FAQ)
Q1. B層という分類は、本当に政府が作ったものなのですか。
A. 作成したのは有限会社スリードという民間の広告会社だとされています。政府の関与については、2005年6月29日の国会で竹中平蔵氏が明確に否定しています(「民間の企業の企画書であり、政府の中でそのような話をした事実もない」)。一方で、書籍などでは「内閣府が広告会社に作らせた」とする記述もあり、説明は食い違っています。ここは断定しないでおきます。
Q2. 郵政民営化には、何のメリットもなかったのですか。
A. そういう単純な話ではありません。組織の効率化や新規事業への参入など、民営化によって可能になった面はあります。問題にしているのは、当時「メリット」として国民に示された4点が、そのとおりにはならなかったこと、そしてそのうちいくつかは当初から前提が事実と違っていたことです。
Q3. 中野剛志氏や適菜収氏の見方は、偏っていませんか。
A. 論者には立場があります。だから私はいつも、本の記述と、一次資料で確認できることを分けて書くようにしています。今回も、国会質疑・財投改革の時期・堺屋氏の経歴といった事実関係は別途確認したうえで並べました。鵜呑みにせず、ご自身で照合してください。
Q4. いま、同じことが起きていないと言えますか。
A. 言えないと思います。分かりやすいスローガンと、メディアの増幅と、検証の遅れ。この三つがそろえば、同じことは何度でも起こります。だからこそ、制度が動き出す前に立ち止まれるかどうかが問われるのだと思います。
ここまでお読みくださりありがとうございます。また次の記事でお目にかかりましょう。

