小池百合子と笹川グループ——都知事選で自民党が別候補を推すなか、笹川良一の次男は小池を応援していた【都民ファの系譜】

こんにちは。金子吉友です。

2016年の東京都知事選。自民党東京都連が推薦していたのは、増田寛也氏でした。

都連は所属議員あてに文書を出し、非推薦候補を応援した議員への処分をちらつかせていました。

その最中に、自民党の元衆議院議員が、小池百合子氏の応援演説に立っています。

2016年 東京都知事選で起きていたこと

笹川堯(ささがわ・たかし)。笹川良一の次男です。日本財団名誉会長・笹川陽平氏の兄にあたり、自民党の総務会長まで務めた人物です。

偶然でしょうか。それとも、そうではないのでしょうか。

ここのところ、満州地下人脈と自民党のルーツ、清和会とCSIS、麻生太郎とロスチャイルド、世界連邦と日本会議、そして昨日は維新と自民党を取り上げました。

今日は、都民ファーストと国民民主を、その線の上に置きます。そして最後に、どこまでが記録で確認できて、どこからが確認できないのかを、はっきり分けて置きます。

満洲地下人脈とCIA・統一教会コネクション相関図
目次

前提の確認——ここまでにたどってきた線

満州のアヘンから、自民党へ

短く振り返ります。

日本政府は日清戦争が終わったころから、中国でアヘン政策を行ってきました。1933年からは満州でアヘンの専売制が始まります。その密売に関わっていたのが岸信介です。

満州のアヘンは、どこへ流れたか

アヘン売買で得た莫大な資金は戦費と満州経営に充てられ、戦後は自民党の結党資金や巣鴨プリズンからの釈放資金に使われたとされます。通称M資金です。

この人脈の中心に岸信介がいて、笹川良一、児玉誉士夫が密接に関わる。さらに佐藤栄作、吉田茂、大平正芳、池田勇人も満州人脈です。

文鮮明とロックフェラーの密約

岸信介と文鮮明がつながったのも、満州時代でした。両者は反共産主義という目的で連携し、国際勝共連合が韓国と日本で立ち上がります。

統一教会はKCIAによって再組織された

そしてもう一段、奥があります。

韓国中央情報部(KCIA)の部長・金鍾泌(キム・ジョンピル)はロックフェラーによって指名された。そして米下院のフレイザー委員会の報告書には、1961年、その金鍾泌の指示で統一教会が韓国の政府機関として再組織されたと書かれています。

教団の設立から数年で、韓国政府のフロント組織になっていた。そしてKCIA自体が、アメリカのCIAの援助を受けて設立されている。

その金鍾泌が訪米した際に文鮮明が同行し、ネルソンとデイヴィッドのロックフェラー兄弟と面談。世界統一政府の実現という共通目標で意気投合し、ロックフェラー側が日本の統一教会に資金を出し、統一教会側は日本の愛国保守勢力を骨抜きにする——という密約が交わされたとされます。

表向きは反共。裏側はグローバリズム。

この密約の部分は、フリッツ・スプリングマイヤーの著作による記述です。一次資料は確認できていません。先に断っておきます。

表向きは反共、裏側はグローバリズム

竹中平蔵は、どう上がっていったか

竹中平蔵氏が政権中枢に食い込んでいった経緯も、押さえておきます。

竹中平蔵は、どう上がっていったか
  • 森内閣の政策タスクフォースに入る。ここでオリックスの会長・宮内義彦氏と同席し、のちにオリックスの社外取締役に
  • 森政権の支持率が下がると、小泉純一郎氏に接近し、小泉氏の勉強会を頻繁に開催
  • このときプライマリーバランスの黒字化が提唱され、小泉内閣で採用される
  • 2001年、小泉内閣の発足とともに経済財政政策担当大臣に起用

シンクタンクの理事長というポジションから、政権の内側へ。これが竹中氏の上がり方でした。

そして菅義偉氏は、竹中氏が総務大臣だったときの総務副大臣です。その竹中氏が、のちに維新のアドバイザーになる。政策的な親和性を考えれば、不思議なことではありません。

昨日の復習——維新のルーツ

昨日の記事で扱った内容も、一行で置いておきます。

笹川良一のお抱え運転手だった松井良夫氏が、住之江競艇の電気設備工事を手がけて事業を拡大し、大阪府議会議長にまで上り詰めた。その息子が松井一郎氏で、そこから大阪維新の会が生まれた——こういう情報があります。会社は株式会社大通。1971年の創業です。

そして菅義偉氏が橋下徹氏を政界に担ぎ出し、竹中平蔵氏と上山信一氏という共通のブレーンが維新と自民党をつないでいた。

笹川良一と松井良夫の関係

国際勝共連合は、どこで生まれたか

1967年7月、本栖湖

ここから本題です。まず国際勝共連合の出発点を押さえます。

1967年7月15日の夜、山梨県の本栖湖畔。笹川良一が主宰する全国モーターボート競走会連合会の本栖研修所に、日韓両国の反共の首脳が集まりました。

国際勝共連合の出発点(1967年 本栖湖)

集まった顔ぶれです。

  • 文鮮明(統一教会)
  • 劉孝元(ユ・ヒョウォン)
  • 笹川良一——全モ連・日本船舶振興会(現・日本財団)のトップ
  • 白井為雄——児玉誉士夫の代理
  • 久保木修己——のちの初代会長

この会合は「第1回アジア反共連盟結成準備会」と名づけられました。

1967年7月15日、本栖湖で何が話されたか

競艇の施設で、反共団体の設立が話し合われた。

この一点だけでも、押さえておく価値があります。公営ギャンブルの収益を握る団体のトップが、宗教団体の教祖と、右翼のフィクサーの代理人を同じ場所に集めた。そしてそこで話し合われたことが、のちに自民党の選挙を支える組織になっていく。

ただし、ここは正確に書いておきます。この会合で構想された「アジア反共連盟」そのものは、実現していません。週刊誌にすぐ報じられ、日本の右翼陣営の足並みが乱れて計画は挫折しました。

また、開催月には食い違いがあります。Wikipediaなどは7月としますが、勝共連合の公式サイトは「67年6月」としています。同じ会合を指しているのか、複数回あったのかは確認できませんでした。

1968年4月1日、発足

計画は挫折しましたが、本栖湖会談の精神に基づいて、別の形で実を結びます。

  • 1967年11月——久保木修己を中心に前身の「勝共啓蒙団」が結成
  • 1968年4月1日——国際勝共連合が日本で発足
  • 名誉会長に笹川良一、会長に久保木修己(日本統一教会の初代会長)
  • 発起人は笹川良一と岸信介
勝共連合の活動・思想(86年ダブル選)

何を掲げていたか

勝共連合が掲げた主張を並べます。

  • 共産党と共産主義の欺瞞と間違いを明らかにする
  • 大学、労働組合、一般人を対象とした反共講演会の開催
  • 世界各国の反共・保守派要人との交流
  • 日本の「憲法改正」や「核武装化」
  • 「スパイ防止法」の制定、日本版NSCの設置、選択的夫婦別姓の阻止
勝共連合の活動・思想

この並びを見て、どう思われるでしょうか。自民党の清和会がずっと掲げてきた政策と、ほぼ一致しています。

「134人」という数字——三つ目が出てきました

昨日の記事で、1986年の衆参同日選挙で勝共連合が「150人を応援し134人を当選させた」という数字を検証しました。出どころは機関紙『思想新聞』1987年1月1日付で、団体の自己申告。しかも同紙の1986年7月20日号は「130人」としていました。

今回、三つ目の数字が出てきました。

134人という数字が、三つに割れている

勝共連合の公式サイトは、「86年の衆参ダブル選挙で自民党圧勝に貢献し、『勝共推進議員の集い』に120人の国会議員が結集した」としています。

  • 『思想新聞』1987年1月1日付——150人を応援し、134人を当選させた
  • 『思想新聞』1986年7月20日号——130人の勝共推進議員が当選
  • 勝共連合の公式サイト——「勝共推進議員の集い」に120人の国会議員が結集

同じ団体の資料の中だけで、三つの数字が併存しています。

数字の正確さは、ここでは諦めるべきでしょう。ただし「選挙に組織的に関与していたこと自体」は、団体自身が繰り返し誇ってきた事実です。そこは否定されていません。

小池百合子の父——小池勇二郎

満鉄、闇市、そして石油

ここからが今日の中心です。小池百合子都知事の父、小池勇二郎氏(1922〜2013年)。

小池勇二郎(小池都知事の父親)

経歴を並べます。

  • 元海軍中尉
  • 満州鉄道・経理部に在籍
  • 戦後、闇市で抗生物質のペニシリンを販売
  • 闇市で得た資金をもとに石油会社を4つ経営
  • 医療関係の貿易会社を経営
  • 1969年、衆議院選に兵庫2区から出馬し落選
  • 貿易会社の倒産
  • エジプト・カイロで日本料理店「なにわ」を経営
  • 関西経済同友会の幹事、全国中小貿易連盟の理事
  • 右翼的思想団体「スメラ学塾」に所属

満州鉄道の経理部にいた。つまり、小池勇二郎氏もまた、満州にいた人物です。

小池勇二郎という人物

スメラ学塾とは何か

「スメラ学塾」という名前は、あまり耳慣れないと思います。

「日本世界史建設戦士の養成」を目的として設立された団体です。中心にいたのは、

  • 高嶋辰彦(陸軍大佐)
  • 小島威彦(国民精神文化研究所)
  • 仲小路彰(思想家・哲学者)

塾頭は末次信正(海軍大将)。

右翼思想団体「スメラ学塾」

スメラ学とは、本来はシュメール文明の研究を指します。ところがスメラ学塾では、「スメラ=すめらぎ」ということで、日本人はシュメール文明の末裔であるという主張になっていたようです。

小池勇二郎氏は、ここのメンバーとして活動していました。

『新潮45』はこう書いています。

> 父は”貿易商”以前に闇屋稼業などに携わっており、戦時中は右翼的な思想団体「スメラ塾」のメンバーとして活動していた経歴の持ち主だ。このスメラ塾で叩きこまれた、一種独特な思想や世界観を戦後も勇二郎は手放すことができず、幼い自分の息子や娘にも語って聞かせたという。政治家・小池百合子の少々右派的な歴史観も、ここに由来するのかもしれない

小池勇二郎(デイリー新潮)

父が戦時中に身につけた世界観を、娘が受け継いでいるのではないか——という指摘です。

1969年の落選——誰が推薦したのか

ここは、線を引いておきます。

配信では「小池勇二郎氏は勝共連合の応援を受けて選挙に出た」とお伝えしました。しかし、確認できたのは別の事実でした。

1969年の落選、推薦したのは誰か
  • 1969年12月27日の第32回衆議院議員総選挙
  • 旧兵庫2区(定数5)から無所属で立候補
  • 候補者12人中10位、得票は約7000票で落選
  • 推薦したのは、石原慎太郎の政治団体「日本の新しい世代の会」

石原慎太郎が将来の新党結成を見据えて作った団体の推薦を受けていた。これは複数の資料で確認できます。

一方、「勝共連合の応援を受けて出馬した」という記述の出どころは、藤原肇氏の著書『小泉純一郎と日本の病理』です。しかも配信で使った資料は、その書評を引用したブログからの孫引きでした。

二つは矛盾しません。推薦団体と応援する団体は別でありえます。ただし、確認できる資料の強さには差があります。ここは分けて読んでください。

なお、落選後の経緯も記録に残っています。商売をかえりみず政治に夢中になりすぎたため、1971年ごろに会社が倒産し、債権者が小池家に押し寄せたとされます。その後、一家はカイロへ移ります。

娘がカイロ大学に留学することになるのは、この流れの中でのことです。

上山信一——大阪と東京をつないだ一人

維新のアドバイザーであり、小池のブレーンでもあった

昨日の記事でも触れた上山信一氏が、ここでまた出てきます。

維新の政策ブレーン・上山信一

維新側での立場を、もう一度並べます。

  • 2008年4月——大阪府特別顧問
  • 2011年6月——大阪維新の会 政策特別顧問
  • 2011年12月——大阪市特別顧問
  • 2016年——維新政治塾 講師(3期・4期・5期)
  • 著書『大阪維新』は大阪都構想の理論的支柱と評価されています

そして東京側です。

上山信一と小池都知事の深いつながり

2016年8月12日、小池知事は就任直後の定例会見で「都政改革本部」の設置を表明し、顧問就任予定のメンバーを発表しました。上山信一氏は、そこに含まれています。

本部の第1回会議は、同年9月1日。上山氏は東京都顧問と都政改革本部の特別顧問という二つの役職に就き、小池知事の就任直後から特別顧問を務めました。

大阪も東京も、上山信一という同じ人物が政策の側から関わっている。

同じ人物が、大阪と東京の両方にいた

ここも線を引きます。配信とスライドには「上山信一は東京財団の客員研究員・シニアフェロー、笹川平和財団の参与でもある」とありますが、この二つの肩書きは、私の側では確認できませんでした。

「維新と都民ファの両方に関わった」までは確認できます。「だから笹川系列だ」という接続は、確認できていません。

笹川堯——自民党が別の候補を推したとき

冒頭に戻ります。

笹川堯氏。1935年生まれ。笹川良一の次男で、笹川陽平氏の兄。1986年の衆院選で初当選し、国務大臣、自民党総務会長を歴任。2009年に23年間の議員生活を終えて引退しています。息子は、現在の環境大臣・笹川博義氏です。

小池都知事と笹川財団の深いつながり

その笹川堯氏が、2016年の都知事選で小池百合子氏を応援しました。

このときの状況を、もう一度確認してください。

  • 投開票は2016年7月31日
  • 自民党東京都連が推薦していたのは増田寛也氏(自民・公明・こころ推薦)
  • 都連は所属議員に文書を出し、非推薦候補を応援した議員への処分をちらつかせていた
  • それでも笹川堯氏は、JR新宿駅前の街頭演説で小池氏の応援に立った
笹川家と小池都知事

結果は、小池氏が増田氏、鳥越俊太郎氏らを大差で破って初当選。

自民党が組織として別の候補を推し、応援した議員を処分するとまで言っているなかで、笹川良一の次男が小池氏の応援に立った。

これを「個人の判断」と見るか、「笹川グループのスポンサーシップ」と見るか。ここは解釈の分かれるところです。ただし、事実として起きたことは記録に残っています。

玉木雄一郎と東京財団

国民民主党の玉木雄一郎代表についても触れておきます。

玉木氏は2005年の衆院選で落選したあと、日本財団の下部組織である東京財団に研究員として在籍していたとされます。少なくとも2007年から2008年にかけての在籍が確認されているという指摘があります。

国民・玉木代表と東京財団

奇妙なのは、この経歴が玉木氏の公式プロフィールに書かれていないことです。現在の東京財団政策研究所の公式サイトで検索しても、情報は出てこないとされます。

ここも線を引きます。この指摘の出どころはnote「馬の眼」の記事です。私の側で一次資料までは確認していません。

ただし、東京財団が日本財団の傘下のシンクタンクであること、その二代目理事長が竹中平蔵氏であったことは、これまで見てきたとおりです。

藤原肇の記述について

配信では、藤原肇氏の著書『小泉純一郎と日本の病理』から、かなり長い引用がなされました。内容を要約すると、こうです。

  • 国際勝共連合に所属する会員たちは、統一教会の信者として米国で教育を受けたのち、自民党議員の秘書として永田町に送り込まれた
  • 彼らは国際感覚と語学力を身につけており、松下政経塾出身者より尊敬される存在だった
  • 1980年代に、自民党のシンクタンクである総合研究所が勝共連合によって乗っ取られていた
  • 佐々木良昭氏(元拓殖大学教授)が、小池百合子環境大臣(当時)が理事長を務める中央アジア研究所の専務理事であり、東京財団のシニア研究員の肩書きを使っていた
  • 小池氏の父が「かつて勝共連合の応援を受けて衆議院選挙に出て落選した」
小池都知事、東京財団、勝共連合のつながり

この記述の扱いについては、はっきりさせておきます。

配信で使われた資料は、この本そのものではなく、本の書評を掲載したブログからの孫引きでした。私の側で原典にあたっての確認はしていません。

興味深い指摘が含まれていることは確かです。しかし、孫引きの孫引きを事実として扱うことはしません。「こういう指摘がある」というところまでです。

この引用は、どこから来ているか

笹川平和財団とCSIS

もう一つ、押さえておくべき線があります。

笹川平和財団は、「ジャパン・ハンドラー」として知られる米シンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)と連携する研究組織を構築しています。

笹川財団はCSISとつながっていた

清和会とCSISの記事で見たとおり、CSISは日本の政治家が「報告」に行く先として機能してきました。安倍晋三氏が2013年にここで「Japan is Back」と演説したことは、よく知られています。

アメリカの意向を受けて、笹川グループが日本の政界に働きかけていた——そういう見方もできる、ということです。

ここも断っておきます。「連携する研究組織がある」ことと、「アメリカの意向を受けて政界に働きかけた」ことは、別です。前者は公表されている事実、後者は解釈です。

清和会からは、なぜ出なかったのか

今日の話を、もう一つ別の角度から見ておきます。

統一教会との密約が「日本の愛国保守勢力を骨抜きにする」ことだったとすれば、その結果はどう現れたか。

誰が上がり、誰が消えたか

自民党から、本当の意味での愛国保守の政治家が、清和会からはほとんど出なかった——これが金子の見立てです。

出たとしても、田中角栄、大平正芳のように別の派閥からでした。そして対米自立の方向へ動こうとした政治家は、スキャンダルで潰されるか、不審な形で表舞台から消えていった。田中角栄、橋本龍太郎、小渕恵三——こうした名前が挙げられます。

一方で、統一教会と良好な関係を保ち、親米・対米従属を貫いた清和会の人々は、出世していった。

これは因果関係を証明できる話ではありません。しかし、誰が上がり、誰が消えたかという結果だけは、並べて見ることができます。

ここは、線を引いておく

今日の話を、確認できることと確認できないことに分けます。

記録で確認できること

  • 1967年7月15日夜、本栖湖畔の全国モーターボート競走会連合会の施設で、文鮮明・劉孝元・笹川良一・白井為雄(児玉誉士夫の代理)・久保木修己らが会合を持ったこと。「第1回アジア反共連盟結成準備会」と名づけられたこと
  • その「アジア反共連盟」構想は、週刊誌に報じられて足並みが乱れ、実現しなかったこと
  • 1967年11月に前身の「勝共啓蒙団」、1968年4月1日に国際勝共連合が発足したこと。名誉会長 笹川良一、会長 久保木修己、発起人に笹川と岸信介
  • 勝共連合が憲法改正、核武装化、スパイ防止法、日本版NSC、選択的夫婦別姓の阻止を掲げていたこと
  • 小池勇二郎氏が「スメラ学塾」のメンバーだったこと(Wikipedia・『新潮45』)
  • 1969年12月27日の第32回衆院選で、旧兵庫2区から無所属で立候補し、12人中10位・約7000票で落選したこと。石原慎太郎の「日本の新しい世代の会」の推薦を受けていたこと
  • 1971年ごろに会社が倒産したこと
  • 2016年8月12日に小池知事が都政改革本部の顧問を発表し、9月1日に初会合。上山信一氏が特別顧問を務めたこと
  • 笹川堯氏が笹川良一の次男、笹川陽平氏の兄であり、自民党総務会長を歴任したこと。2016年都知事選で、自民都連が増田寛也氏を推薦し処分をちらつかせるなか、小池氏の応援に立ったこと
  • 笹川堯氏の息子が、現在の環境大臣・笹川博義氏であること
  • 竹中平蔵氏が森内閣の政策タスクフォースを経て小泉内閣で経済財政政策担当大臣となり、東京財団の二代目理事長も務めたこと
  • 笹川平和財団が米シンクタンクCSISと連携する研究組織を構築していること
確認できること、確認できないこと

確認できなかったこと

  • 「小池勇二郎が勝共連合の応援を受けて出馬した」——出どころは藤原肇氏の著書の、書評の、孫引きです。確認できた推薦団体は石原慎太郎の「日本の新しい世代の会」でした
  • 「カイロの日本料理店『なにわ』」——個人の解説サイトにしか見当たらず、確認できませんでした
  • 「上山信一が東京財団のシニアフェロー、笹川平和財団の参与」——確認できませんでした
  • 「玉木雄一郎が2007〜2008年に東京財団研究員」——note記事による指摘で、一次資料は確認していません
  • 本栖湖会談の開催月——Wikipedia等は7月、勝共連合の公式サイトは6月としており、一致しません
  • 「文鮮明とロックフェラーの密約」——スプリングマイヤーの著作による記述です
  • 藤原肇氏の著書からの各記述——孫引きのため、原典未確認です

こうして分けると、残るものははっきりします。

競艇の施設で反共団体の設立が話し合われ、笹川良一が名誉会長になった。小池百合子の父は満鉄にいて、戦時中は思想団体のメンバーだった。上山信一という同じ人物が、大阪と東京の両方で政策顧問を務めた。そして自民党が別の候補を推すなか、笹川良一の次男が小池百合子の応援に立った。

ここは、動きません。

まとめ——名前は違っても、たどると同じところへ戻る

自民・維新・都民ファ・国民民主

ここ数日たどってきた線を、一本にまとめます。

今日の結論①
  • 自民党——岸信介と吉田茂、二つの満州人脈が合流してできた政党
  • 日本維新の会——松井一郎氏の背後に笹川良一。菅義偉氏が橋下徹氏を担ぎ出し、竹中平蔵氏と上山信一氏がブレーンに
  • 都民ファースト——父の代から笹川グループとの縁があり、上山信一氏がブレーン。笹川堯氏がスポンサー的な位置に
  • 国民民主党——玉木雄一郎氏が東京財団の研究員

政党の名前は違います。しかし、たどっていくと同じところへ戻ってきます。

今日の結論②

宗教組織に支えられているのは、自民党だけではない

ここは、公平に書いておきます。

自民党は、統一教会と連合し、公明党(創価学会)と長く連立を組み、日本会議を支える宗教団体の支援を受け、神社本庁の政治組織である神道政治連盟とも関係を持ってきました。先日の記事で見たとおり、第2次高市改造内閣では19人中13人が日本会議の議連メンバーです。

しかし、これは自民党だけの話ではありません。立憲民主党にも立正佼成会から支援を受けている議員がいます。政治と宗教は、どの政党でも簡単には切り分けられません。

表層ではなく、構造を見てください

「もう古い話じゃないか」と思われるかもしれません。

1967年の本栖湖。1969年の落選。2016年の都知事選。たしかに、どれも過去の出来事です。

しかし、ルーツをたどらないと実態はつかめません。

2025年10月、自民党と維新が連立を組みました。2026年9月の内閣改造では、笹川良一の孫である笹川博義氏が環境大臣として初入閣しています。

統一教会は解散命令を受け、清和会も安倍派という名を残して派閥としては消えました。麻生派を除いて、派閥はなくなったことになっています。

しかし、なくなったのは形だけです。受け継がれているものは、なくなりません。

形は変わっても、脈々と受け継がれているものは、なくなりません。

そして私たちは、「新しい政党ができた」「若い勢力が台頭した」というニュースを、そのまま受け取っていないでしょうか。名前が新しいことと、中身が新しいことは、別です。

表層ではなく、構造を見てください。

そして、構造を見るためには、確認できる線と確認できない線を、最後まで分けたままにしておくことです。今日の話で言えば——本栖湖の会合も、スメラ学塾も、上山信一の二つの顧問職も、笹川堯の応援演説も、記録で確認できる線。「勝共連合が小池勇二郎を応援した」は、孫引きの指摘。ここを混ぜた瞬間に、確認できるはずの部分まで一緒に捨てられてしまいます。

ここまでお読みくださりありがとうございます。また次の記事でお目にかかりましょう。

今回の内容をさらに詳しく解説した動画は、私のYouTubeチャンネルで公開しています。ぜひご覧ください。

よくある質問(FAQ)

Q1. 小池百合子氏の父は、勝共連合の応援を受けて選挙に出たのですか?

この記述の出どころは、藤原肇氏の著書『小泉純一郎と日本の病理』で、しかも書評からの孫引きです。私の側で原典は確認していません。確認できたのは、1969年12月27日の第32回衆院選に旧兵庫2区から無所属で立候補し、12人中10位・約7000票で落選したこと、そして石原慎太郎の政治団体「日本の新しい世代の会」の推薦を受けていたことです。この二つは矛盾しませんが、資料の強さには差があります。

Q2. 「スメラ学塾」とは何ですか?

「日本世界史建設戦士の養成」を目的に設立された戦時中の思想団体です。陸軍大佐の高嶋辰彦、国民精神文化研究所の小島威彦、思想家の仲小路彰らが中心となり、塾頭は海軍大将の末次信正。スメラ学は本来シュメール文明の研究を指しますが、この塾では「スメラ=すめらぎ」として、日本人がシュメール文明の末裔であるという主張になっていたとされます。小池勇二郎氏がメンバーだったことは、Wikipediaと『新潮45』の双方に記載があります。

Q3. 国際勝共連合は、いつどこで生まれたのですか?

1967年7月15日の夜、山梨県の本栖湖畔にある笹川良一主宰の全国モーターボート競走会連合会の施設に、文鮮明、劉孝元、笹川良一、児玉誉士夫の代理である白井為雄、久保木修己らが集まり、「第1回アジア反共連盟結成準備会」を開きました。ただしこの連盟構想は実現していません。その後、1967年11月に前身の「勝共啓蒙団」、1968年4月1日に国際勝共連合が発足します。名誉会長は笹川良一、会長は久保木修己でした。なお開催月については、勝共連合の公式サイトは「6月」としており、資料が一致していません。

Q4. 笹川堯氏が小池氏を応援したのは、そんなに特別なことですか?

状況を踏まえると、普通のことではありません。2016年の都知事選で、自民党東京都連は増田寛也氏を推薦し、所属議員に対して非推薦候補を応援した場合の処分をちらつかせる文書まで出していました。そのなかで、自民党総務会長まで務めた元衆議院議員が、小池氏の応援演説に立ったわけです。ただし「だから笹川グループが小池氏のスポンサーだ」と断定できる資料を、私は持っていません。事実として起きたことと、その解釈は分けてください。

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この記事を書いた人

反DS歴史研究者、調査ジャーナリスト。YouTube『あつまれニュースの森』(登録者10万人)にて反グローバリズムの視点で世界情勢・国内政治を解説。

本業だったコンサルタントから徐々に歴史研究にシフトしていく。日々リサーチする中、メディアや歴史が嘘だらけであり、この世界が一部の権力機構によって支配されてきたことに強烈な違和感と憤りを覚えるようになる。

グローバリズムの根源と実態を徹底的に研究。その歴史を旧約聖書まで遡り、現在のいわゆるディープステートのルーツがユダヤ系とアングロサクソン系の2系統にあることを突き止める。

2021年、YouTubeを開始し、グローバリストのルーツを徹底解剖するオンラインサービス『金子ゼミ』を立ち上げる。

グローバリストにより”修正”された歴史を”修復”する「歴史復元主義」を根本理念とする。

情報発信者としての信条は「左も右もない反グローバリズム・国益第一主義」「不偏不党」。

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