こんにちは。金子吉友です。
なぜ、日本の保守政治家は、韓国で生まれた宗教団体と手を結んだのか。
そして——その同じ政治家たちは、なぜワシントンの安全保障シンクタンク、CSISと関係を深めたのか。
選挙を支える宗教団体。政策を後押しするアメリカのシンクタンク。この二つの線をたどると、岸信介から福田赳夫、安倍晋太郎、そして安倍晋三へと続く、一つの政治的系譜に行き着きます。
これは、三者による秘密同盟だったのでしょうか。それとも、それぞれの利害が一致した結果なのでしょうか。
先日お話しした笹川財閥と満州地下人脈の秘史は大変ご好評をいただきました。今日はその続編です。
この記事を最後までお読みいただくと、岸信介と統一教会が接近した理由、その関係が清和会にどう受け継がれたのか、そしてCSISが安倍政権にとってどのような役割を持っていたのかが分かります。さらに——確認できる事実と、証拠のない推測の境界も、きちんと整理します。

前提の確認——自民党のルーツは、満州にある
本題に入る前に、土台を確認しておきます。
岸信介を中心に、笹川良一、児玉誉士夫、里見甫。そして吉田茂、佐藤栄作、池田勇人、福田赳夫、大平正芳。戦後日本の首相を次々と生み出したのが、いわゆる満州地下人脈です。
その二世、三世が、安倍晋三、小泉純一郎、岸田文雄へと続きます。そして笹川良一の血筋は日本財団に受け継がれ、現在に至っています。
「いつの間にか自民党と統一教会の関係ができていた」という説明では、どうしても腑に落ちません。最初からつながっていた、と考えたほうが、はるかに筋が通るのです。
前回の記事でも触れましたが、この人脈は現在の政治にもそのまま続いています。
- 笹川陽平氏——日本財団の名誉会長。歴代首相を自身の別荘に招くことができる立場です
- 笹川博義氏——笹川良一の孫。自民党の外国人労働者等特別委員会の事務局長を長く務め、第2次高市改造内閣で環境大臣として初入閣しました
- 竹中平蔵氏——笹川系の東京財団の第2代理事長(1999〜2006年)。このポジションを足がかりに、森政権から小泉政権へと食い込んでいきました
- 玉木雄一郎氏——東京財団の研究員だったことが、日本財団運営のブログに残る本人プロフィールに記載されています
- 小池百合子氏——都知事選を、笹川良一の子である笹川堯氏が支援しました
同じ名前が、宗教団体の線にも、シンクタンクの線にも、移民政策の線にも出てきます。これは偶然ではなく、もともと一つの人脈だからだ——というのが私の見立てです。
三者を結んだのは、司令塔ではなく「方向の一致」
先に、結論を申し上げます
三者を結んだのは、一つの司令塔ではありません。
反共、改憲、防衛力強化、日米同盟。この共通の方向に、異なる利害が重なったのです。
「黒幕が一人いて、全部を操っていた」という話ではありません。むしろ、それぞれが別の目的を持ちながら、同じ方向を向いていたからこそ、関係が長続きした——これが今日の見立てです。

CSIS(戦略国際問題研究所)とは何か
まず、三つのうち日本ではあまり知られていないCSISを確認しておきます。
正式名称はCenter for Strategic and International Studies。日本語では戦略国際問題研究所と呼ばれます。
- 1962年、冷戦の真っただ中に、アメリカ海軍の作戦部長を務めたアーレイ・バークと、のちにNATO大使となるデイヴィッド・アブシャイアが、ジョージタウン大学に設立しました
- 1987年には大学から独立し、現在はワシントンに拠点を置く非営利の政策研究機関です
- 主な研究分野は、防衛、外交、地政学、経済安全保障
ちなみに、設立の場となったジョージタウン大学はイエズス会系の大学です。そして運営資金には、ロックフェラー財団をはじめとする財団からの資金も入っています。アメリカのシンクタンクは、国際的な資本が政策形成に関与するための装置でもある——この点は押さえておくべきでしょう。

シンクタンクは、命令ではなく「政策の言葉」をつくる
CSISは、アメリカ政府そのものではありません。
しかし、政府の元高官、軍関係者、研究者、企業関係者、そして外国の政治家が集まり、政策を議論する場所です。
決定を下す役所ではなく、政策の言葉をつくり、人脈をつなぎ、構想をワシントンに広げる舞台だと考えると分かりやすいでしょう。
アメリカの政策世界では、政府で働いた人物がシンクタンクへ移り、研究や提言を行い、再び政権に入ることがあります。いわゆる「回転ドア」です。シンクタンクだけではありません。軍需企業の役員から政権入りし、退任後にまた軍需企業のトップになる。金融機関の幹部がホワイトハウスに入り、その後また金融機関の経営陣に戻る。アメリカではこれが繰り返されます。
そのためシンクタンクは、政府の外にありながら、政権の考え方や政策課題に一定の影響を与えることができます。
ただし、提言する力と、命令する権限は別です。
CSISは日本政府を動かす司令塔ではなく、政策を評価し、ワシントンで通用する言葉に翻訳する場です。ここを混同すると、話が一気に雑になります。

日本との関係で重要な人物——マイケル・グリーン
日本との関係を語るうえで欠かせない人物の一人が、マイケル・グリーンです。
- 2001年から2005年まで、ブッシュ政権の国家安全保障会議(NSC)でアジア政策を担当
- その後、CSISの日本・アジア部門で中心的な役割を担う
- 安倍晋三時代の日本外交を研究・評価してきた、いわゆる「ジャパンハンドラー」とも呼ばれる人物です
そして——2006年にコロンビア大学大学院で政治学修士を取得した小泉進次郎氏は、同年6月、CSIS日本部の研究員になっています。そのときの上司が、このマイケル・グリーン氏でした。在籍中には、グリーン氏との共著論文を2本書いています。翌2007年9月、父・小泉純一郎氏の秘書となって政界に入りました。

1960年代——岸信介と統一教会を結んだ「反共」
東アジアは、冷戦の最前線だった
時計の針を1960年代へ戻します。
当時の東アジアは、冷戦の最前線でした。中国では共産党政権が成立し、朝鮮半島は南北に分断。日本国内でも、日米安全保障条約、再軍備、憲法改正をめぐって激しい対立がありました。1960年の安保闘争では、国会周辺を大規模な抗議運動が包み、岸内閣は退陣に追い込まれます。
岸信介にとって「反共」は、外交上の立場だけではありませんでした。社会党や共産党、労働運動や学生運動に対抗し、保守政治の基盤を守るという、国内政治上の課題でもあったのです。
岸が重視したのは——反共産主義、日米同盟、そして自主憲法の制定でした。

信仰の一致ではなく、政治目的の一致
その同じころ、韓国でも「反共」を掲げる宗教団体が動き始めていました。
文鮮明が創設した統一教会も、共産主義との対決を政治活動の中心に置いたのです。
- 1968年1月、韓国で国際勝共連合が発足
- 同年4月には、日本でも同名の団体が設立されます
- 日本での運動形成には、笹川良一や児玉誉士夫らの反共人脈が関わり、岸も教団や勝共運動との関係を深めていきました
両者を結んだのは、信仰の一致ではありません。
共産主義を最大の脅威と見なし、日本、韓国、台湾、アメリカを結ぶ反共ネットワークを築くという、政治目的の一致でした。
なお、岸信介・笹川良一・児玉誉士夫の三人は、いずれも巣鴨プリズンに収容され、不起訴のまま釈放されています。その際にCIAとの取引があったのではないかという見方は根強くありますが、これは前回の記事でも書いたとおり、断定できる一次資料は確認できていません。

岸信介と教団の接点——1964年から1984年まで
その接点は、一度の会合だけではありません。年表で見ると、20年にわたって続いています。
- 1964年——統一教会の日本本部が、東京・渋谷区南平台の、岸が以前使用していた建物へ移転
- 1973年——文鮮明と岸が、渋谷の教団本部で会談
- 1974年——「希望の日晩餐会」で、岸が名誉実行委員長を務め、福田赳夫も祝辞を述べています
- 岸は勝共連合の場で、自主憲法の制定や反共運動の必要性も訴えました
- 1984年11月26日——アメリカで収監されていた文鮮明について、岸がレーガン大統領へ書簡を送り、早期釈放を求めた
この1984年の書簡について、補足しておきます。文鮮明は同年4月に脱税で懲役1年6か月の実刑判決を受け、連邦刑務所に収監されていました。岸の書簡はアメリカ・カリフォルニア州のロナルド・レーガン大統領図書館に所蔵されており、ジャーナリストの徳本栄一郎氏が発掘、2022年に週刊新潮が報じたものです。
岸は書簡のなかで、文鮮明について「彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠」と書いていました。
元首相が、外国の宗教指導者の釈放を、アメリカ大統領に直接求めた。これは「関係があった」という水準の話ではありません。政治資本を使ってまで動いた、ということです。

政治家と教団は、それぞれ何を得たのか
では、なぜ両者はここまで近づいたのでしょうか。
政治家側が必要としていたのは、反共運動の組織力です。
ビラを配る。集会を開く。電話をかける。選挙を手伝う。政治家にとって、継続的に動く組織は大きな力になります。
特に選挙では、団体が持つ票の数だけが重要なのではありません。事務所に入り、名簿を整理し、電話をかけ、知人に投票を呼びかける。こうした手間のかかる活動を担う人材は、候補者にとって貴重です。さらに、選挙に勝てば、新人議員の秘書として信者が送り込まれ、政策立案や国会答弁の準備まで担うようになっていきました。
一方、教団側が必要としていたのは、政治的な信用と政界へのアクセスです。
元首相や有力政治家が集会に出席し、祝辞を送り、写真に収まる。それだけで、団体は社会的な権威を得ることができます。有力政治家との写真や祝辞は、信者に対しては運動の正当性を示し、外部に対しては「政治的に認められた団体だ」という印象を与えます。
政治家側は組織力を得る。教団側は権威と政治的な接点を得る。その交換を可能にした共通言語が「反共」だったのです。

岸派から清和会へ——受け継がれたのは「方向」
1979年1月24日、清和会結成
岸の政治路線を引き継いだ中心人物が、福田赳夫です。
1979年1月24日、福田を中心に清和会が結成されました。
その系譜は——安倍晋太郎、三塚博、森喜朗、町村信孝、細田博之、安倍晋三へと続きます。
もちろん、所属議員全員が同じ思想だったわけではなく、派閥の性格も時代とともに変化しました。それでも、清和会の基調には、反共、憲法改正、防衛力強化、そして日米同盟の重視が残りました。この部分が、国際勝共連合の主張と重なります。
冷戦が終わったあとも、関係は消えませんでした。改憲、安全保障、家族政策など、協力できる争点が残ったからです。そして何より——双方にとってメリットのある共依存の関係から、抜け出せなくなっていたというのが実態でしょう。

継承されたのは「方向」、接点は議員ごとに
ここで注意したいことがあります。
岸と教団の関係が、そのまま同じ形で、すべての清和会議員に継承されたわけではありません。
継承されたのは、まず思想と政策の方向です。その上で、個々の議員が選挙や会合を通じ、教団関連団体との接点を積み重ねました。
家系、派閥、政策、選挙支援。これらが重なることで、関係が長期化したと考えるべきでしょう。
「派閥ぐるみの密約があった」と言えば言いすぎになります。しかし「個人の問題にすぎない」と言えば、今度は小さくしすぎです。

ワシントンとの線——2013年のCSIS演説
「Japan is Back」
統一教会・勝共連合との関係が、国内の政治運動や選挙に関わるものだったとすれば、CSISとの関係は、外交・安全保障政策と、ワシントンでの評価に関わるものでした。
2013年2月22日、安倍晋三首相はCSISで「Japan is Back」と題する演説を行います。
> 日本は二流国家ではないし、これからも決してならない。それが、私がここで伝えたい核心のメッセージだ。
そして、日本が国際ルールを推進し、海洋などの国際公共財を守り、アメリカやオーストラリアなどとの協力を強める方針を示しました。防衛予算を増やし、日米同盟を一層強化する意思も明確にしています。
安倍首相はこの演説で、リチャード・アーミテージ元国務副長官、ジョセフ・ナイ元国防次官補、マイケル・グリーンらの報告に触れ、「日本は二流国家になるのか」という問いに答えました。いわゆるアーミテージ・ナイ・レポート——日本に対して安全保障上の要求を並べてきた、あの一連の報告書です。

命令ではなく、双方に利益のある関係
これは、CSISが安倍政権に命令した証拠ではありません。
安倍首相が目指した国家像と、ワシントンの同盟強化論が、強く一致していたということです。
アメリカ側は、日本により大きな防衛負担と、地域安全保障への関与を求める。安倍政権は、その期待を利用して、自らの政策を国際的に正当化する。
国内で安全保障政策を変更しようとすれば、「アメリカに言われたからではないか」という批判が出ます。しかし安倍政権にとっては、アメリカの専門家からの評価を、「日本が国際社会で必要とされている証拠」として、逆に使うことができました。
「一方的にハンドリングされていた」という解釈は、片手落ちです。日本側も、彼らのお墨付きを得て政策を進めたという経緯がある——ここは公平に見るべきところです。命令と服従というより、双方に利益のある関係だったと見るべきでしょう。

三者の役割と、二つの経路
ここで、三者の役割を整理します。
- 清和会——国会や内閣で政策を実行する政治権力を持つ
- 統一教会・国際勝共連合——国内での運動、広報、選挙支援などの組織力を持つ
- CSIS——安全保障政策を言語化し、ワシントンの人脈と国際発信の舞台を提供する
三者は、同じ役割を担ったのではありません。それぞれが違う資源を持ち、目指す政策の方向が重なったのです。
なお、統一教会とCSISの間に直接のつながりは確認できません。両者をつなぐとすれば、それは清和会という政治権力を経由した、間接的な重なりです。

そして現在——CSISと日本をつなぐ回路
富士山会合と、日経・CSIS共催シンポジウム
ここからは、カンペには入っていない、配信で語られた部分です。
CSISと日本の間には、いまも定期的な回路があります。
富士山会合——日本経済新聞社系のシンクタンクである日本経済研究センターとCSISが共催する会議で、日米の政府高官や有識者が国際問題を話し合う場です。小泉進次郎氏も登壇しています。
日経・CSIS共催シンポジウム——こちらは公開の場として毎年開かれており、2026年10月にも開催が予定されています。
会議があり、人がいる。先に触れたとおり、小泉進次郎氏はCSIS日本部の研究員を務め、マイケル・グリーン氏と共著論文を2本書いています。制度としての回路と、人としての回路。その両方が、いまも動いています。

JICA理事長・田中明彦という結節点
もう一人、押さえておきたい人物がいます。JICA(国際協力機構)理事長の田中明彦氏です。
- JICA理事長——外国人材の送り出しと受け入れに深く関わる立場です
- 三極委員会(日米欧三極委員会)のアジア太平洋地域会長
- 2024年10月には、CSISで基調講演を行っています(テーマは「混乱する世界における開発協力の未来」)
- 富士山会合の常連でもあります
援助機関のトップが、同時に国際的な政策ネットワークの中核にいる。
前回のスウェーデンの回で、日本国際交流センターの円卓会議にJICA理事長特別補佐が並んでいたことをお伝えしました。移民・外国人材の線と、安全保障の線が、同じ人物や同じ組織のところで交差している——これが、私が繰り返し申し上げている構造です。

2022年、関係が表面化した
2022年7月、安倍晋三元首相が銃撃され、死亡しました。
この事件をきっかけに、旧統一教会と自民党議員の関係が、全国的に検証されるようになります。
選挙ボランティア。会合への出席。祝電やメッセージ。関連団体からの推薦。それまで個別の接点として見られていた関係が、広い規模で可視化されました。
問題になったのは、一人の政治家が一度だけ会合に出た、という話ではありません。複数の議員が、異なる関連団体を通じて、似た形の接点を持っていたことです。
組織間の正式な協定がなくても、個人単位の関係が何度も繰り返されれば、全体として一つのネットワークに見えてきます。
自民党は2022年8月31日、旧統一教会と関連団体について、今後は一切関係を持たないという基本方針を決定しました。同時に、党としての組織的な関わりはなかった、という立場も示しています。
正式な組織協定が確認されていないことと、多数の議員が長年接点を持っていたことは、両立します。明文化された命令系統がなくても、政治家の選挙上の利益と、教団の政治的利益が重なれば、関係は積み重なっていくからです。

清和会の解散で、関係は終わったのか
清和政策研究会は、政治資金パーティーをめぐる問題を受け、2024年2月1日に最後の総会を開き、政策集団としての活動を終了しました。
しかし、組織がなくなっても、思想、人脈、政策まで一日で消えるわけではありません。
日米同盟の強化。防衛費の増額。憲法改正。インド太平洋における日本の役割拡大。これらは現在も、日本政治の主要争点です。
問われるべきなのは、派閥の名前が残っているかではありません。
誰が政策をつくり、誰が選挙を支え、誰が国際的な評価を与えているのか。その関係が、有権者に見えているかどうかです。

ここは、線を引いておく
長い話になりましたので、確認できることと、確認できないことを分けておきます。
【公的な記録で確認できること】
- 1964年——統一教会の日本本部が東京都渋谷区南平台へ移転
- 1974年——希望の日晩餐会で岸信介が名誉実行委員長
- 1984年11月26日——岸信介がレーガン大統領へ文鮮明の釈放を求める書簡(レーガン大統領図書館所蔵)
- 1979年1月24日——清和会結成
- 2013年2月22日——安倍晋三首相がCSISで演説
- 2022年8月31日——自民党が旧統一教会との関係断絶の基本方針を決定
- 2024年2月1日——清和政策研究会が活動を終了
【一次資料で確認できないこと】
- ロックフェラー兄弟と文鮮明の会見
- ロックフェラー側から統一教会への資金援助
この二つの出典は、アメリカの著述家フリッツ・スプリングマイヤーの著書『蛇のごとく狡猾に』のみです。私自身、裏を取ろうとしましたが、たどり着けませんでした。
補足しておくと、この記述は同書のなかでモルモン教について論じた章のなかに出てきます。統一教会がモルモン教と構図が似ている、という文脈で触れられているのです。一般には陰謀論として片づけられる類の記述であり、私も「これは真実である」と言い切ることはできません。
ただし、「確認できない」と「嘘である」は別です。そして「面白いから本当だろう」も、また別です。確認できた年表と、確認できない一点を、混ぜずに置いておく。それが今日の書き方です。

そして今——同じ構造が、移民政策で動いている
もう一つ、申し上げておきたいことがあります。
今日お話しした構造は、過去の話ではありません。
前回の記事で、2027年4月に始まる育成就労制度を取り上げました。上限は123万1,900人と説明されていますが、その内訳は育成就労42万6,200人+特定技能1号80万5,700人で、しかも2029年3月末までの数字です。
特定技能1号は通算5年が上限で家族帯同は不可。しかし特定技能2号には、在留期間の更新回数の制限がなく、家族の帯同も認められます。
つまり——2号へ進んだ人はこの上限の外に出て、空いた枠はまた新しい人で埋められる。しかも試験はそれほど難しくなく、真面目に働いていれば相当な割合が2号へ進みます。
お風呂の栓が抜けたまま、蛇口から水を入れ続けているようなものです。そして2029年4月以降どうするのかについては、まだ何も語られていません。
この制度の事務方を長く務めてきたのが、笹川良一の孫である笹川博義氏でした。歴史をたどらないと、この人事の意味は見えてきません。
まとめ——見るべきは陰謀ではなく、政治の透明性
清和会、統一教会、CSISを結んだのは、秘密の司令塔ではありません。
反共、改憲、防衛力強化、日米同盟という、政策方向の一致です。
- 清和会は、政治権力を得る
- 教団は、政治的な信用と影響力を得る
- CSISは、より積極的に行動する同盟国を得る
三者の利害が、安倍晋三という政治家の下で重なりました。
表層ではなく、構造を見てください。
メディアはこの問題を「政治と宗教の癒着」として報じます。誰が会合に出たか、誰が祝電を打ったか。もちろん、それも事実です。しかしそこで止まってしまうと、なぜその関係が70年近く続いたのかが分かりません。
私が繰り返し満州の話をしているのは、そこに根があるからです。
岸信介、笹川良一、児玉誉士夫、里見甫。そして吉田茂、佐藤栄作、池田勇人、福田赳夫。戦後日本の首相を生み出した人脈は、戦前の満州でつながっていました。その二世、三世が、安倍晋三であり、小泉純一郎であり、岸田文雄です。歴史を知らないまま「いつの間にか統一教会と関係ができていた」と説明されても、腑に落ちないのは当然です。最初からつながっていたのですから。
そして私たち日本は、この構造の上に立っています。
自民党は「自主憲法の制定」を掲げてきました。しかし——アメリカとの関係を清算しないまま、主権を回復しないまま、憲法だけを変えることに、どんな意味があるのでしょうか。何のための改憲なのか。そこを見極めないまま賛成することのほうが、私はよほど危険だと思います。
ここで、もう一歩だけ踏み込んでおきます。
日米同盟の強化を掲げるとき、その前提に置かれるのが「核の傘」です。中国が核保有国である以上、日本はアメリカの核抑止に頼るしかない——そう説明されてきました。
しかし、本当にそうでしょうか。
ウクライナでアメリカが直接参戦しなかった理由は、はっきりしています。ロシアが核保有国だからです。武器は送る。情報も出す。しかし地上部隊は送らない。イランとの緊張が高まったときも、湾岸諸国の米軍基地の兵士たちはどう動いたか。前線に出るのではなく、退避していました。
では、日本と中国が衝突した場合、アメリカはどこまでやるのでしょうか。
「日本とアメリカの関係は特別だ」「ウクライナとは違う」と言う人はいます。しかし、その根拠は何でしょうか。評論家の伊藤貫氏が繰り返し指摘しているように、ワシントンの当局者は、建前では核の傘があると言いながら、本音では「中国との核戦争に踏み込むことはできない」と認めている——それも一人や二人の話ではない、というのです。
外務省も、防衛省も、首相官邸も、そのことは分かっているはずです。それでも代替の安全保障策がないから、「あることにしておく」しかない。私はそう見ています。
重要なのは、「黒幕は誰か」と想像することではありません。
政策を支える人脈と利益交換が、国民に公開されているかを検証することです。
見るべきものは、陰謀ではなく、政治の透明性です。

ここまでお読みくださりありがとうございます。また次の記事でお目にかかりましょう。
今回の内容をさらに詳しく解説した動画は、私のYouTubeチャンネルで公開しています。ぜひご覧ください。
よくある質問(FAQ)
Q1. 清和会と統一教会とCSISは、秘密同盟を結んでいたのですか?
秘密同盟を示す証拠はありません。三者を結んだのは、反共、改憲、防衛力強化、日米同盟という政策方向の一致です。清和会は政策を実行する政治権力を、統一教会・国際勝共連合は選挙支援などの組織力を、CSISは安全保障政策の言語化とワシントンの人脈を、それぞれ持っていました。役割が違うからこそ、交換が成立したと考えるべきです。なお、統一教会とCSISの間に直接のつながりは確認できません。つながるとすれば、清和会という政治権力を経由した間接的な重なりです。
Q2. 岸信介と統一教会の関係は、どこまで記録に残っているのですか?
20年にわたる接点が記録されています。1964年に統一教会の日本本部が東京・渋谷区南平台の岸が以前使用していた建物へ移転。1973年には文鮮明と岸が渋谷の教団本部で会談。1974年の「希望の日晩餐会」では岸が名誉実行委員長を務め、福田赳夫も祝辞を述べました。そして1984年11月26日、岸はレーガン大統領へ、脱税で収監中だった文鮮明の早期釈放を求める書簡を送っています。この書簡はレーガン大統領図書館に所蔵されており、ジャーナリストの徳本栄一郎氏が発掘し、2022年に週刊新潮が報じました。
Q3. CSISは日本政府に指示を出しているのですか?
指示を出す権限はありません。CSISはアメリカ政府ではなく、非営利の政策研究機関です。1962年にアーレイ・バークとデイヴィッド・アブシャイアがジョージタウン大学に設立し、1987年に独立しました。提言する力と、命令する権限は別です。2013年2月22日の安倍首相のCSIS演説も、CSISが命じた証拠ではなく、安倍首相が目指した国家像とワシントンの同盟強化論が一致していたことを示すものです。むしろ安倍政権は、アメリカの専門家からの評価を、自らの政策を国内で正当化する材料として使うことができました。
Q4. 清和会が解散したので、この関係は終わったのですか?
組織がなくなっても、思想・人脈・政策が一日で消えるわけではありません。清和政策研究会は2024年2月1日に活動を終了しましたが、日米同盟の強化、防衛費の増額、憲法改正、インド太平洋における日本の役割拡大は、現在も日本政治の主要争点です。また富士山会合(日本経済研究センターとCSISの共催)や日経・CSIS共催シンポジウムといった回路は、いまも続いています。問われるべきは派閥の名前が残っているかではなく、誰が政策をつくり、誰が選挙を支え、誰が国際的な評価を与えているのかが、有権者に見えているかどうかです。

