こんにちは。金子吉友です。
戦後日本の保守の中枢にいたとされる笹川財団が、反共産主義から親中へと舵を切りました。
その背景に、何があったのか。
そして舵を切った先で、反共を掲げていたはずの統一教会の資金が、北朝鮮へ流れていきます。核とミサイルの開発資金になった可能性まで指摘されている金です。
今回は、この転換の背景に迫ります。

鍵になるのは、三つの出来事です。
- 1972年、笹川良一が反共から親中へ転じた
- 1989年12月、笹川日中友好基金が設立された
- 1991年12月、文鮮明が北朝鮮を訪問し、金日成と会談した
そしてこの三つをつなぐ場所に、ある組織があります。
中国国際友好連絡会。人民解放軍の対外工作を担う組織です。
今回は、旗が裏返った経緯をたどります。
目次
前提の確認——ここまでにたどってきた線

日本政府が中国で阿片政策を始めたのは1894年からとされ、1933年には満州で阿片の専売が始まりました。その莫大な資金は戦費に充てられ、戦後は自民党の結党資金や巣鴨プリズンからの釈放工作の資金になったとされます。
満州の経営を担っていたのが岸信介であり、阿片の実務を取り仕切ったのが里見甫でした。そして笹川良一・児玉誉士夫が、この時期に岸と仕事を共にしています。

この満州地下人脈から、歴代の総理大臣が続々と出ました。
文鮮明が合流した場所

文鮮明と岸信介・笹川良一がつながったのも、満州時代とされます。
両者は反共産主義という旗のもとで共闘し、日本では国際勝共連合という政治組織が生まれます。その設立に関わったのが岸信介・笹川良一・児玉誉士夫の三人です。
そして勝共連合は、自民党の選挙を支えました。
1986年には150名の候補を応援し、そのうち134人が当選した——これは勝共連合側の自己申告の数字として報じられたものです。

第三者による検証ではありませんが、選挙に組織として関わっていたこと自体は否定されていません。
秘書として送り込まれた人たち

勝共連合の支援は、選挙だけではありませんでした。
当選した新人議員のもとへ、統一教会のエリート信者が公設秘書として入っていったとされます。海外に留学して帰国した、語学も実務もできる人材です。
制度も政策も分からない新人議員が、実務を丸ごと委ねる。
そして教団の側は、議員と並んだ写真を得る。「自民党の議員と一緒にやっている団体なら大丈夫だろう」——そう思わせることが、信者の獲得につながります。
持ちつ持たれつ。
しかし、ここで考えてみてください。議員の名簿と、秘書の名簿。この二つを持つ組織は、何ができるでしょうか。
この問いが、後半で効いてきます。
CIAとの関係

アメリカ下院のフレーザー委員会の報告書には、こう記されています。
統一教会は1961年、韓国のKCIA(韓国中央情報部)のキム・ジョンピル部長の指示のもとで、韓国の政府機関として再組織された。
KCIAはCIAのネットワークの中にあります。
そして文鮮明は1960年代初頭、キム・ジョンピルとともに渡米し、ロックフェラー兄弟と会談したとされます。表向きは反共産主義、裏側では世界統一政府という共通目標のもとで、日本の愛国的な保守勢力を骨抜きにするという密約があった——これはフリッツ・スプリングマイヤーの著作による記述です。
ここまでが前提です。ここから本題に入ります。
1972年、笹川良一は反共から親中へ転じた

1972年9月、日中国交正常化。
この前後から、笹川良一の立ち位置が変わります。
競艇で得た収益金の一部を中華人民共和国への支援に回し、中国共産党の指導者である鄧小平とも親交を結んだとされます。

反共産主義の旗振り役が、共産党の国へ金を回し始めた。
ここが、最初の転換点です。
医学研究者の受け入れと、基金の設立

具体的な事業も始まります。
- 1987年ごろから、中華人民共和国の医学研究者を日本の大学で受け入れるプロジェクトが始まり、来日した医学生は2000人を超えたとされます
- 1989年12月、笹川日中友好基金が設立されます
この基金について、正確に書いておきます。
笹川日中友好基金は、日本財団(当時の正式名称は財団法人 日本船舶振興会)の援助により、笹川平和財団(SPF)に設立された地域基金です。日本財団の初代会長である笹川良一の発案だとされています。
なぜ、競艇の金が中国へ回せたのか

ここで一つ、押さえておきたいことがあります。
なぜ笹川良一は、これだけ自由に資金を動かせたのか。
モーターボート競走法に基づき、競艇の売上の一部が交付金として日本船舶振興会(現在の日本財団)に入る仕組みがあります。公営競技の収益が、民間の財団を通じて配分されるという形です。
税金ではありません。しかし、民間が自由に稼いだ金とも違います。
国が認めた公営競技の収益が、一つの財団を経由して動く。その配分先を決める立場にいた人物が、中国への支援を決めたということになります。
誰が決めたのか。国民は、どこで知らされたのか。
この問いは、いまも有効だと思います。
天安門事件のあとも、支援は続いた

1989年6月、天安門事件。
西側諸国は中国への制裁に踏み切ります。
ところが笹川良一は、基金を通じて金銭的な支援を続けました。
世界が手を引いた時期に、手を離さなかった。この事実は重いと思います。
そして笹川良一の死後、この関係は三男の笹川陽平氏が引き継ぐことになります。

中国国際友好連絡会とは何か

ここからが核心です。
日本財団の会長を務めていた笹川陽平氏は、中国国際友好連絡会という組織と密接な関係を築き、日中間の交流を続けてきたとされます。
この組織の性格を、正確に書きます。
- 1984年に設立された組織
- 2016年の軍改革より前は、中国人民解放軍 総政治部の連絡部に属していた(改革後は中央軍事委員会 政治工作部の下)
- 表向きの名称は「中国国際友好連絡会」だが、実体は対外工作を担う部門だとされる
- 西側諸国の保守系人脈の取り込みが主な任務だと指摘されている

そして副会長を務めていたとされるのが、鄧小平の三女・鄧榕です。
つまり、最高指導者の娘が看板に座り、軍の工作部門が中身を動かす組織だった、ということになります。
公開情報で確認できる協働

ここは陰謀論ではありません。公開情報で確認できます。
笹川平和財団の事業記録には、中国国際友好連絡会が実施者やパートナーとして登場します。たとえば日本語学習者奨学金の実施者として、2000年度や2007年度の事業一覧に名前が載っています。
1991年から2007年にかけての複数の事業で、この組織がパートナーとして記録されています。
軍の対外工作部門だと指摘されている組織と、日本の財団が、長年にわたって事業を共にしてきた。
これは、調べれば誰でも確認できることです。
誰が標的だったのか

では、その交流は誰に向けられていたのか。
自民党の議員と、自衛隊のOBが標的だったと指摘されています。
福田博幸氏の『中国対日工作の実態』の内容を要約すると、こうなります。
- 笹川良一の訪中を好機として、中国は日本の右派人脈の取り込みを強化した
- その受け皿として作られたのが、中国国際友好連絡会だった
- 笹川財団を拠点として、海上自衛隊や勝共連合に対する工作を活発化させた

反共の組織が、工作の入り口になった。
これが、この話のいちばん苦い部分です。
「友好」という名前について

名前の話を、少しだけさせてください。
中国国際友好連絡会。 笹川日中友好基金。
どちらにも「友好」という言葉が入っています。
名前に「友好」「平和」「国際」と付いていると、人はそれ以上調べません。善いものだと感じた瞬間に、検証が止まるからです。
この連載で何度も見てきた形です。
- 宏済善堂——阿片中毒者の救済を掲げて、阿片の流通を仕切った
- 国際勝共連合——反共産主義を掲げて、自民党の選挙を支えた
- そして「友好連絡会」——友好を掲げて、対外工作を担ったとされる
看板が立派な組織ほど、中身を確かめる価値がある。これは原則にしていいと思います。
自衛隊と人民解放軍の、交流事業

1997年、笹川財団は中国国際戦略学会に接触したとされます。
この学会も、性格を書いておきます。
- 人民解放軍系のシンクタンクであり、軍の情報部門と関わりが深い
- 会長を務めたのが熊光楷。1988年から1992年まで人民解放軍 総参謀部の情報部門の責任者を務め、1996年に副総参謀長になった人物
情報機関のトップだった人物が率いる学会に、日本の財団が接触したということになります。
日中佐官級交流

そして2001年4月、ある事業が始まります。
日中佐官級交流。
- 笹川平和財団が実施し、防衛省、中国国防部の外事部門、そして中国国際戦略学会の協力を得て行われた
- 自衛隊と人民解放軍の佐官級が、相手国を相互に訪問し、基地などを視察する
- 2001年から2011年までで、日本からは現役の佐官級自衛官126名が訪中し、中国からは人民解放軍の佐官級将校207名が来日したとされます
- 2019年の第25回の時点では、防衛省から152人、人民解放軍から248人、計400人が参加したと報告されています
- 2012年10月に中止となり、約6年後の2018年に再開されました

中国の将校が日本に来て、海上自衛隊の防衛装備の展示を見学する。 日本の自衛官が中国に行って、海軍基地を見学する。
これが、10年以上にわたって続いていました。
表向きは親善です。しかし、情報の流れは一方通行ではありません。
統一教会と北朝鮮を結びつけたのは、誰だったのか

ここで、話が北朝鮮につながります。

文鮮明の逮捕が、好機とされた

指摘されている経緯は、こうです。
- 中国側は、勝共連合の母体が統一教会であることに注目した
- 文鮮明が脱税によりアメリカ国内で逮捕された際、これを好機と捉えた
- 文鮮明と北朝鮮を近づける工作に打って出た
- 1991年、中国国際友好連絡会の仲介によって、文鮮明と金日成の会談が実現した

反共の指導者を、共産主義国の指導者と会わせる。
その仲介をしたのが、軍の対外工作部門だった——これが指摘されている構図です。
1991年12月6日、咸鏡南道

会談の事実関係を確認します。
- 1991年12月6日、咸鏡南道で文鮮明と金日成が会談しました(咸興の別荘で乾杯する写真が報じられています)
- 議題は、南北統一、核施設の査察、海外在住の南北の市民による対北投資の奨励など
- 金剛山の観光開発の合弁会社設立、豆満江開発、元山の軽工業基地への投資などの経済協力で合意したとされます
そして資金です。
金日成が1億5000万ドル(約200億円)の献金を求めたのに対し、文鮮明が35億ドル(当時のレートで4500億円超)を約束したと報じられています。ただしこの数字は報道や関係者の証言に基づくもので、公式に確認されたものではありません。

その資金の出どころは、日本の信者から得た献金であり、霊感商法で得た収益が含まれている——これは避けて通れない指摘です。
平和自動車

合意は、形になります。
- 1998年、統一教会グループの平和自動車が、北朝鮮の政府系企業(朝鮮連峰総会社)との合弁で「平和自動車総会社」を設立
- 2000年2月、南北双方の承認を受けて起工式
- 2002年9月、平壌で開催された朝鮮国際技術・インフラ展示会で、北朝鮮国産車第一号として「ヒウィパラム(口笛)」が披露された
なお、工場の設立資金については、北朝鮮が統一教会から引き出した資金を、イタリアのフィアット社と提携して設立した平和自動車の工場建設に充てたという報道もあります。

DIAの文書

そして、もう一つ重い記述があります。
アメリカのCult Education Instituteに掲載された記事「ブッシュ親子、金、そして文鮮明——カネのトライアングル」に、こうあります。
情報公開法に基づいて入手したアメリカ国防情報局(DIA)の文書によると、文鮮明は北朝鮮の最高幹部(当時の共産党指導者である金日成を含む)に数百万ドルの秘密支払いを行っていた
そして、その時期です。
1990年代初めから半ばにかけてのこれらの支払いは、共産主義政権が核兵器と長距離ミサイルの開発を支援するために国際通貨を切望していた時に行われたものである

反共を掲げた組織の金が、核とミサイルの開発資金になっていた可能性がある。
ここまで来ると、「反共」という看板の意味が分からなくなります。
なぜ文鮮明は訪朝したのか

本人の動機については、別の説明もあります。
- 文鮮明の生まれは、北朝鮮の北西部にある定州
- 家族を残して故郷を一人飛び出したため、親孝行を果たせなかったという思いと、望郷の念が募っていた
- 北朝鮮には生き別れた姉たちがいて、再会したい思いも強かった
- 訪朝時期の文鮮明は84歳で、すでに息子を教会の後継者に指名していた

個人の情と、組織の戦略は、両立します。
望郷の念が本物だったとしても、その思いを使って動かした側がいたかどうかは、別の話です。
もう一つの疑い——南米と、ブッシュ父

配信では、もう一つの線にも触れました。
統一教会が南米の麻薬密売に関与していたのではないか、という疑いです。
当時の南米の新聞が、「文鮮明の富の源泉は、麻薬密売などの組織販売にある」と報じたとされます。文鮮明と南米の軍事政権との強い結びつきから、こうした巨額のマネーの出どころを疑われた、という流れです。

そして、アメリカ側との関係です。

元CIA長官であり、のちに大統領となったブッシュ(父)と統一教会の近さは、よく知られています。
ワシントン・タイムズの創刊をめぐる場で、ブッシュ父が文鮮明への謝意を述べる映像も残っています。「文鮮明先生がいなければ同紙は創刊されなかった」という趣旨の発言です。

さらに配信では、こういう線にも触れました。
- ブッシュ(父)とCIA
- パナマのノリエガ将軍
- 創価学会の池田大作氏
- 小沢一郎氏
これらが結びついているという見立てです。

ただし、ここは特に慎重に扱います。私の側で一次資料を確認できていない部分が多く、この記事では「そういう指摘がある」という以上には踏み込みません。別の機会に、改めて資料を揃えて扱いたいテーマです。
組織の名前を、正確に分けておく

ここは、どうしても整理が必要です。
「笹川財団」と一口に言われますが、実際には別の組織が複数あります。
- 日本財団——旧・財団法人 日本船舶振興会。競艇(ボートレース)の収益を扱う。笹川良一が初代会長、笹川陽平氏が会長を経て現在は名誉会長
- 笹川平和財団(SPF)——日本財団の支援で設立された財団。ここに笹川日中友好基金(1989年12月設立)が置かれている
- 東京財団——1997年に国際研究奨学財団として設立、1999年に改称。竹中平蔵氏が理事長を務めたシンクタンク
中国国際友好連絡会と事業を共にしてきた記録が残っているのは、笹川平和財団の側です。 日中佐官級交流を実施しているのも、笹川平和財団です。

ただし、三つは無関係ではありません。
資金の源は競艇の収益であり、人の中心には笹川家がいます。だから「笹川グループ」とまとめて語られるわけです。
グループとして語ることと、個々の法人を取り違えることは、別です。
ここを混ぜてしまうと、せっかくの指摘が「事実誤認だ」の一言で片付けられてしまいます。
交流事業は、何を渡していたのか

ここで、冷静に考えてみます。
佐官級の交流で、実際に何が行われていたのか。
- 中国の将校が来日し、海上自衛隊の防衛装備の展示を見学する
- 日本の自衛官が訪中し、中国の海軍基地を見学する
一見、対等に見えます。
しかし、対等でしょうか。

考えるべき点を挙げます。
- 見せるものを選べるのは、受け入れる側です。中国側が日本の自衛官に見せる基地と、日本側が中国の将校に見せる装備が、同じ価値だとは限りません
- 人を知ることは、情報です。どの部隊に誰がいて、どういう考え方をするのか。将来、佐官は将官になります
- 相手方の実施組織が、軍の情報部門系のシンクタンクでした。協力機関として名前が出ている中国国際戦略学会は、情報部門出身の人物が会長を務めた組織です
交流という言葉は、対等さを前提にしています。しかし前提が成り立っていなければ、それは一方的な情報提供になりかねません。
もちろん、防衛交流そのものには意味があります。相互不信を減らし、偶発的な衝突を防ぐという目的は、理解できます。だからこそ、相手方がどういう組織なのかを国民に知らせたうえでやるべきだと思うのです。
ここは、線を引いておく

記録で確認できること
- 笹川日中友好基金が1989年12月、日本財団(当時の日本船舶振興会)の援助により笹川平和財団に設立されたこと。笹川良一の発案とされること
- 中国国際友好連絡会が1984年に設立され、2016年の軍改革より前は人民解放軍 総政治部 連絡部に属していたこと
- 笹川平和財団の事業記録に、中国国際友好連絡会が実施者・パートナーとして複数年にわたり登場すること(日本語学習者奨学金など)
- 日中佐官級交流が2001年4月に始まり、防衛省・中国国防部の外事部門・中国国際戦略学会の協力で実施されたこと。2001〜2011年で日本側126名・中国側207名、2019年時点で計400人。2012年10月に中止、2018年に再開
- 熊光楷が1988〜1992年に人民解放軍 総参謀部の情報部門の責任者を務め、1996年に副総参謀長となり、のちに中国国際戦略学会の会長を務めたこと
- 1991年12月6日、咸鏡南道で文鮮明と金日成が会談したこと。金剛山観光開発の合弁会社設立などで合意したとされること
- 1998年に平和自動車が北朝鮮の政府系企業と合弁会社を設立し、2002年9月に「ヒウィパラム(口笛)」が披露されたこと
- 統一教会が1961年にKCIAの指示で再組織されたと、米下院フレーザー委員会の報告書に記されていること
確認できなかったこと
- 「鄧小平の三女・鄧榕が中国国際友好連絡会の副会長だった」——そういう情報がありますが、私の側では一次資料で確認できませんでした
- 「文鮮明が35億ドルを約束した」——報道と関係者証言に基づく数字で、公式に確認されたものではありません(1億5000万ドルの要求に対して、という文脈も含めて)
- 「中国が文鮮明と北朝鮮を近づける工作を行った」——そう指摘する論者の記述に基づくもので、一次資料は確認できていません

こうして分けても、残るものははっきりしています。
反共を掲げた人物が、1972年以降に親中へ転じ、天安門事件のあとも支援を続けた。そこに作られた基金が、軍の対外工作部門と指摘される組織と長年にわたり事業を共にし、自衛隊と人民解放軍の交流事業を実施してきた。
ここは、動きません。
なぜ、いまも影響力があるのか

ここで素朴な疑問が出てきます。
笹川良一が亡くなって30年近く経つのに、なぜこのグループはいまも影響力を持っているのか。
答えは、二つだと思います。
① 満州人脈の中心にいたから

笹川良一は、満州という場所で、岸信介・児玉誉士夫と同じ時期に同じ仕事をしていた人物です。そして戦後、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監され、不起訴で釈放されています。
その人脈は、戦後政治の出発点そのものでした。
だから、歴代の総理大臣が笹川陽平氏の別荘に集まる。派閥を超えて集まるのは、派閥より古い縁だからです。

② 競艇の利権を握っているから

そしてもう一つが、資金です。
モーターボート競走の収益から交付金が流れる仕組みは、いまも続いています。その資金を扱う立場にあるのが日本財団であり、そこから笹川平和財団をはじめとする関連財団へ資金が回る。
人脈と、途切れない資金。この二つがそろえば、影響力は世代を超えます。
政治家は入れ替わります。しかし、金を出す側は入れ替わりません。
愛国の政治家が、育たない構造

配信の終盤で、金子はこう言いました。
本当の意味での愛国の保守政治家が生まれない、もしくは生まれても短命に終わる。それは構造が埋め込まれているからだ、と。
排除の手口として挙げたのは、こういうものです。
- 週刊誌を使ったスキャンダルの報道
- 国税を使った調査
- そこにマスメディアが加わり、拡散する

怪しげな情報を週刊誌にリークして叩かせ、政治生命を絶たせる。
これを「お茶の子さいさいだ」と表現しました。
もちろん、これは個別の事例を立証した話ではありません。私が言えるのは、対米自立に動こうとした政治家が短命に終わり、親米従属を貫いた側が長期政権を築いたという結果の対比までです。
しかし、その対比だけでも、十分に不自然ではないでしょうか。
まとめ——旗は、いつでも裏返る
反共とは、何だったのか

勝共連合は「反共産主義」を掲げていました。
ところが、その旗振り役だった笹川良一が中国共産党に接近し、やがて統一教会の資金が北朝鮮に流れた。
これをどう理解すればいいのか。
私の見方は、こうです。
はじめから、反共は手段だったのではないか。
反共を掲げれば、保守の人々が集まります。集まった人脈は、そのまま名簿になります。そしてその名簿は、別の誰かにとっても価値がある。
旗は、集めるための道具です。集まったあとで、旗だけ付け替えればいい。
構造は、どこにあるのか

中国側の工作対象として指摘されているのは、こういう人たちです。
- 自民党の議員
- 勝共連合が送り込んだ秘書の人脈
- 自衛隊のOB
勝共連合は、自民党の議員を当選させただけではありません。統一教会のエリート信者を、当選した議員の公設秘書として送り込んでいたとされます。
議員の名簿と、秘書の名簿。この二つを持っている組織は、強い。
名簿というのは、ただのリストではありません。誰が、どの議員の、どの分野を担当しているか。その情報が揃えば、どこに働きかければ何が動くかが分かります。政策は、大臣だけで決まるものではないからです。
そしてその名簿が、どこかの時点で別の側に渡ったとすれば——
ハニートラップやマネートラップを含む手段を選ばない浸透工作によって、自民党内部に親中・媚中の議員が数多く生まれていった、という指摘につながります。
表層ではなく、構造を見てください

「もう昔の話ではないか」と思われるかもしれません。
しかし、日中佐官級交流は2018年に再開され、いまも続いています。
メディアが見せる表面は、こうです。 日中の友好交流。相互理解。民間外交。
その奥にある構造は、こうです。 誰が資金を出し、誰が相手方に座り、誰の名簿が動くのか。
交流そのものが悪いとは言いません。問題は、相手がどういう組織で、こちらが何を渡しているのかを、国民が知らされていないことです。
そして日本は、どうするのか。
真の独立とは、真の主権とは、何か。
旗の色ではなく、金の流れと人の名簿を見てください。そこにしか、本当のことは書かれていません。
よくある質問(FAQ)
Q1. 民間の国際交流を、工作だと決めつけるのは行き過ぎでは。
A. 交流そのものを否定してはいません。問題にしているのは、相手方の組織の性格です。中国国際友好連絡会が人民解放軍の総政治部連絡部に属していたことは、公開されている情報です。それを承知のうえで事業を共にしていたのか、知らなかったのか——そこは問われてよいと思います。
Q2. 笹川平和財団と日本財団を区別する意味はありますか。
A. あります。法人が違えば、事業も資金の経路も責任の所在も違います。混同したまま批判すると、事実誤認として全体が否定されてしまうからです。グループとして語ることと、個々の法人を正確に書くことは両立します。
Q3. 文鮮明の訪朝は、望郷の念からだったのでは。
A. その面もあったと思います。生まれ故郷の定州に生き別れた姉がいたこと、84歳だったことは、動機として自然です。ただし、個人の情と、それを利用する側の戦略は両立します。私が見ているのは後者のほうです。
Q4. 結局、いま私たちは何を見ればいいのですか。
A. 交流事業の相手方の組織名を見てください。そしてその組織が、どこの傘下にあるのかを調べてください。それは公開情報です。「友好」や「平和」という名前がついている組織ほど、中身を確かめる価値があります。
最後に、一つだけ申し添えます。
この記事で名前を挙げた団体の活動すべてを、否定するつもりはありません。医学研究者の受け入れによって救われた命もあったでしょうし、日中の偶発的な衝突を防いだ対話もあったでしょう。
私が問うているのは、善意の有無ではなく、相手方がどういう組織だったのかを、誰が知っていて、誰が知らされていなかったのか、という一点です。
ここまでお読みくださりありがとうございます。また次の記事でお目にかかりましょう。

