こんにちは。金子吉友です。
外国の元首から、45分間の電話がかかってきた。内容は「ハマスの指導者が、イスラエルに対する大規模な作戦を準備している」という警告だった。
その電話の10日後に、1,200人が殺され、251人が連れ去られました。
そして――首相は、その電話の内容を、誰にも伝えていなかった。国防大臣にも、参謀総長にも、情報機関のトップにも。
これが、2026年9月8日にイスラエルの新聞ハーレツが出した調査報道の中身です。首相府は即座に「完全な嘘だ」と全面否定し、翌9日にはネタニヤフ首相自身がハーレツを名誉毀損で提訴すると表明しました。
いま、イスラエルの政界は、この1本の記事で大揺れになっています。
ただ、私が今日お話ししたいのは「この記事が本当かどうか」だけではありません。この報道が加わったことで、10月7日の前にイスラエルの手元にあった警告が、合計6つになった――そこなんです。
「情報がなかった」という説明は、もう成り立たない。
順を追って見ていきましょう。

イスラエル政界を揺らした1本の記事
まず、何が報じられたのかを整理します。
2026年9月8日、イスラエルの日刊紙ハーレツ(Haaretz)が調査報道を掲載しました。
書いたのは、ハーレツの記者ルース・ユヴァルと、ジャーナリストのシュロミ・エルダル。二人の新刊『Hostages: 843 Days of Abandonment』(邦訳するなら「人質――見捨てられた843日」でしょうか)の取材に基づくものです。
843日という数字は、10月7日の奇襲のあとに続いた人質危機の日数を指しています。タイトルの「見捨てられた」は、人質だけを指してはいません。警告も見捨てられた――そういう二重の意味が込められています。
報道の核心は、こうです。
- 2023年9月末――10月7日のおよそ10日前
- UAE(アラブ首長国連邦)の大統領ムハンマド・ビン・ザイドが、秘匿回線でネタニヤフ首相に電話をかけた
- 通話時間は45分
- 内容は「ヤヒヤ・シンワルが、イスラエルに対する大規模な作戦を準備している」という警告
- ネタニヤフ首相は、この電話の内容を、誰にも伝えなかった
首相府の反応は、即座でした。
「完全な嘘だ。ネタニヤフ首相は、その時期にUAE大統領と話していないし、いかなる警告も受けていない」
そして翌9月9日、ネタニヤフ首相は弁護士に指示し、ハーレツとシュロミ・エルダル氏らを相手取った名誉毀損訴訟の提起を表明しました。首相府は否定の根拠として、首相府・国家安全保障会議・軍事秘書室のいずれの記録にも、2023年9月初旬から10月7日までのあいだにビン・ザイド大統領との通話記録は存在しないとし、さらにそうした通話を仲介するために必要だったはずのUAE側代表者の入館記録もないと説明しています。
一方で、元首相のナフタリ・ベネットが、ラジオ局103FMでこう述べました。
「この事実は本当だと、私は知っている」
さらにアイゼンコット、ベネット、リーベルマン、ゴランという4人の野党指導者が、異例の共同声明を出しています。
そして来月、2026年10月27日には、イスラエルで総選挙があります。
つまりこの報道は、選挙のおよそ7週間前に出ている。ここは、差し引いて見なければいけない部分です。
ただ、この記事だけを聞いても、それがどれくらい重い話なのかは、実は伝わりません。
なぜなら、警告は1本ではないからです。今日整理するだけで、6つあります。
その前に、あの日、何が起きたのかを確認しておきます。
※参照:[The Times of Israel] https://www.timesofisrael.com/days-before-oct-7-uae-leader-warned-netanyahu-hamas-was-planning-war-but-pm-did-nothing-with-the-info-report/

10月7日に、何が起きたのか
2023年10月7日、午前6時29分。
ガザから大量のロケットが飛び、同時に分離壁が爆破されました。
ハマスの精鋭部隊ヌフバを中心に、イスラム聖戦なども加わって、バイク、ピックアップトラック、パラグライダーで国境を越えてきた。
狙われたのは、3つです。
- ① 国境沿いにあるイスラエル国防軍(IDF)の基地と監視拠点
- ② ベエリ、クファル・アザ、ニル・オズなど、およそ30の共同体
- ③ レイムの近くで開かれていた野外音楽フェス「ノヴァ」。参加者は3,000人以上
被害は、次のとおりです。
- 死者 およそ1,200人
- 負傷者 3,300人から4,000人
- 犠牲者には、乳児から90代までが含まれる
- ホロコーストを生き延びた人も、アラブ系のイスラエル人も、タイ人など外国人労働者も含まれている
- 国籍は40か国以上
- ノヴァの会場と、そこから逃げる経路だけで、IDFの調査では民間人344人、治安要員34人が死亡
- およそ251人がガザへ連れ去られた
そして、多くの戦闘員がゴープロ(GoPro)を頭に着けて、殺害の様子を自分で撮影し、配信していました。
ここは、はっきり言っておきます。
これは民間人に対する意図的な攻撃であり、人質を取る行為です。国際法上、明確な戦争犯罪です。
今日の話は、この事実を薄めるためのものではありません。
私が問いたいのは、一点だけです。
これほどの規模の攻撃が、なぜ止められなかったのか。

不可解な点──なぜ、誰も来なかったのか
あの日、いちばん不可解だったのは、防衛の空白です。
イスラエルは、ガザ地区を高度な監視システムで囲っていました。
- 自動機関銃
- センサー付きのフェンス
- 地下トンネルの探知システム
- 世界最高水準と言われていた監視網
その国境が、数時間にわたって、ほぼ無防備でした。
こんなことが考えられるでしょうか。
しかもこれは、陰謀論ではありません。IDF自身の調査が認めている事実です。ガザ師団の指揮系統は崩壊し、最初の数時間、援軍はほとんど来なかった。
なぜか。
一つ目――そもそも部隊が手薄だった
10月7日は、ユダヤ教のスコット(仮庵の祭り)の期間でした。
この時期、IDFは部隊のかなりの部分を、ヨルダン川西岸のほうに回していた。ガザ周辺は、いつもより薄い体制だったわけです。
二つ目――なぜ、そんな判断ができたのか
まさにここです。
「ハマスはガザで戦争を望んでいない」という前提があったからです。
ネタニヤフ首相自身が、「動きがあるとすれば、ヨルダン川西岸のほうだ」という認識を持っていた。部隊の配置は、この前提の帰結でした。
三つ目――警報は、上がっていた
ここが重要です。
警報が上がらなかったのではありません。上がっていたのに、握り潰されていた。
四つ目――当日の午後、イスラエル側が自国の車両を撃っている
これは後から出てきた話ですが、当日の午後、イスラエル側が自分たちの車両を撃っています。
なぜそんなことが起きたのか。ここで、ハンニバル指令という言葉を説明しておく必要があります。

ハンニバル指令とは何か
ハンニバル指令とは、イスラエル国防軍が1986年に作った、兵士の拉致を止めるための交戦規定です。
背景にあるのは、捕虜交換の代償です。
- 1985年のジブリル合意――イスラエル兵3人に対して、パレスチナ人捕虜およそ1,150人を釈放
- 2011年のシャリット交換――兵士1人に対して、およそ1,027人を釈放
兵士がたった1人捕らわれるだけで、1,000人以上の捕虜と交換することになる。
つまりイスラエルは、こう考えたわけです。
生きた捕虜は、相手にとって最強の交渉カードになる。だから、連れて行かれる前に止めろ。その過程で自分の兵士が傷つく可能性があってもやれ。
この指令は2016年、当時の参謀総長ガディ・アイゼンコットが正式に撤回しました。翌2017年1月には、「トゥルー・テスト」「止血帯」「生命の守護者」という3つの別々の指令に置き換えられています。
つまり「ハンニバル指令」という名前の命令書は、確かになくなったんです。
ところが――2024年7月、ハーレツの調査報道が、次のことを明らかにしました。
名前は消えても、発想は残っていた。
- 10月7日の当日、複数の拠点で、同じ種類の指示が出ていた
- 「エレズでハンニバル」という無線
- 正午前後には、「ガザへ戻る車両を1台も通すな」という指示
南部軍の関係者は、こう証言しています。
「その車両に民間人や兵士が乗っている可能性は、皆分かっていた」
さらに、ベエリのある家では、ハマスが十数人を人質に取った建物に、戦車砲が撃ち込まれました。
ここも、正確に言っておきます。
ネット上には「だから死者の大半はイスラエルが殺したんだ」という主張があります。
私は、それは採用しません。ノヴァやキブツでの近接殺害は、ハマス側自身の映像で確認されていますから。
しかし同時に、イスラエル側が自国民を撃った事例があったことも、IDF自身の調査が認めている事実です。
どちらも事実なんです。
さて、ここからが本題です。

批判の論点──6つの警告系統
10月7日のあと、イスラエルの国内外から出てきた批判の中心は、こういうものでした。
「事前に分かっていたんじゃないか」
その根拠を、順に見ていきます。
1つ目――「ジェリコの壁」
2023年11月、ニューヨーク・タイムズが、内部文書とメールをもとに報じました。
- イスラエルの情報機関は、ハマスの侵攻計画書を、攻撃の1年以上前に手に入れていた
- およそ40ページ
- コードネームは「ジェリコの壁」
中身は、こうです。
- 開戦と同時にロケットの弾幕
- ドローンで監視カメラと自動機関銃を潰す
- パラグライダー、バイク、徒歩で大量に越境
- キブツを占拠
- 師団司令部を襲う
10月7日に実際に起きたことと、ほぼ一致します。
それでも、情報機関の評価はこうでした。
「これはハマスの将来の願望であって、いま実行できる計画ではない」
2つ目――2023年7月の訓練
攻撃の3か月前、通信傍受を担当する8200部隊(ユニット8200)が、ハマスの大規模な訓練をつかみました。内容は「ジェリコの壁」と重なる。
この部隊のある下士官が、何度も上司に警告しました。直前には、こんなメールまで送っています。
「剣が来る。民に警告する時だ」
ガザ師団の情報将校の返事は、こうでした。
「完全に想像上のシナリオだ」
3つ目――国境の監視兵
国境の監視拠点には、主に若い女性兵士が配置されていました。
彼女たちは、数か月にわたって報告を上げています。
- 爆発物の訓練
- 戦車や監視ポストの模型を使った襲撃演習
- フェンス周辺の、いつもと違う動き
上司の反応は、こうです。
「ハマスは戦争を望んでいない」「騒ぎすぎるな」
そして10月7日、この監視拠点の多くが、真っ先に襲われました。報告していた兵士自身が、犠牲になっています。
これほど残酷な話があるでしょうか。危険を最初に見つけた人間が、その危険によって最初に殺された。しかも、その報告は上に届いていたのに、無視されていた。
4つ目――前の晩の兆候
IDF自身の検証で、10月6日の夜から7日の未明にかけて、少なくとも5つの異常な兆候を認識していた、とされています。
- ハマス側の通信の動き
- 深夜の異常な活動
- 演習ではなく、実戦の準備に見える動き
それでも「今夜ではない」という判断が残りました。
ここまでが、今回のハーレツ報道より前から知られていた話です。
そして今回の報道が加えたのが、5つ目と6つ目になります。
※参照:[The New York Times] https://www.nytimes.com/2023/11/30/world/middleeast/israel-hamas-attack-intelligence.html

シンワルの「地震」は、どう伝わったか
5つ目は、シンワル本人からの警告です。
これは、経路が面白い。
2023年9月、捕虜交換の交渉が止まっていました。
ハマスの指導者ヤヒヤ・シンワルは、ファタハの仲介者に、こう伝えます。
「進めなければ、大きなサプライズを用意している」 「地震を覚悟しろ」
この言葉が、UAE側のパレスチナ系の顧問に渡り、9月15日、イスラエルの情報機関シンベトに届きました。
当時のシンベト長官ロネン・バルは、ネタニヤフ首相に報告し、数日後に安全保障協議が開かれています。
バル長官は「衝突コースに入っている」として、先制打撃か、防衛の強化を提案した。
決定は、出ませんでした。
10月1日の会議では、バル長官が改めて、シンワルの暗殺を提案しています。
ネタニヤフ首相の返事は、こうでした。
「計画を出せ。後で見る」
これはイスラエルのチャンネル12が、シンベト内部の検証をもとに報じています。
「後で見る」――その6日後に、1,200人が死にました。
そして、6つ目。ここからが、今回のハーレツ報道の中身です。

45分の電話──2023年9月末、秘匿回線
2023年9月の末。10月7日の、およそ10日前です。
UAE(アラブ首長国連邦)の大統領、ムハンマド・ビン・ザイド。
この人物が、秘匿回線でネタニヤフ首相に電話をかけました。通話時間は、45分。
45分というのは、儀礼的な挨拶の長さではありません。首脳同士が、具体的な話を詰める長さです。
伝えた内容は、こうです。
- 「ヤヒヤ・シンワルが、イスラエルに対する大規模な作戦を準備している」
- シンワルは「大きなサプライズを用意している」と言い、アラビア語で「ジルザル」という言葉を、2度使った
「ジルザル」――日本語にすると、「地震」です。
これに対して、ネタニヤフ首相は落ち着いた様子で、こう答えたとされます。
「ガザは掌握している。動きがあるとすれば、ヨルダン川西岸のほうだ」
そして、ここが最大の問題です。この電話の内容を、首相は誰にも伝えなかった。
- 国防大臣にも
- 参謀総長にも
- シンベト長官にも
- モサド長官にも
なぜここまで重大なのか。
もしこれが本当なら、単なる判断ミスではないからです。
同盟国の元首から届いた最高レベルの警告を、自国の情報機関から遮断したということになります。
情報機関というのは、情報を集めて分析するために存在しています。その情報機関に、首相が受け取った最重要の情報が届いていなかった。これは、判断の誤りではなく、システムの遮断です。
この報道は、ハーレツの記者ルース・ユヴァルと、ジャーナリストのシュロミ・エルダルが書いた新刊『Hostages: 843 Days of Abandonment』の調査に基づくものです。
なお、この電話の存在についての証言は、複数の匿名の外国政府高官筋によるものだと報じられています。
ここは、事実と主張を、きちんと分けなければいけません。

首相府は全面否定、しかし2人の元長官が証言
まず、首相府の公式反応です。
「完全な嘘だ。ネタニヤフ首相は、その時期にUAE大統領と話していないし、いかなる警告も受けていない」
全面否定です。
さらに9月9日、ネタニヤフ首相はハーレツとシュロミ・エルダル氏らに対する名誉毀損訴訟を起こすと表明しました。
首相府が示した否定の根拠は、具体的です。
- 首相府、国家安全保障会議、軍事秘書室のいずれを調べても、2023年9月初旬から10月7日までのあいだに、ビン・ザイド大統領との通話記録は存在しない
- そうした通話を仲介するために必要だったはずの、UAE側代表者の入館記録も存在しない
これは、単なる「嘘だ」という否定より一段強い反論です。記録の不在を具体的に挙げている。
一方、UAEの外務省は、こう述べました。
「政府首脳間の会話に関する報道や憶測には、コメントしない」
否定は、していないんですね。
そしてタイムズ・オブ・イスラエルは、その会話を知るUAEの関係者が、報道内容を同紙に確認した、と書いています。ただし、名前は出ていません。
ここまでなら、匿名の証言と、公式の否定がぶつかっているだけです。
しかし、今回の報道には、もっと重い部分があります。
ハーレツによれば――
- 元シンベト長官のロネン・バル
- 元参謀総長のヘルツィ・ハレヴィ
この2人が、いずれも「自分はUAE大統領からの警告について知らされていなかった」と証言している。
ここを、よく見てください。
電話があったかどうかは、争われています。首相府は完全否定し、訴訟まで起こしている。
しかし「治安機関のトップに伝わっていなかった」という点については、当のトップ2人が認めているわけです。
つまり、争点は二つに分かれます。
- ① 電話は本当にあったのか――争われている。首相府は記録の不在を根拠に否定し、提訴した
- ② 治安機関のトップに情報は伝わっていたのか――伝わっていなかったと、当人たちが証言している
②は、①が真偽どちらであっても残る事実です。

エジプトからの警告と、イスラエル国内の反応
そして、エジプトです。
実はこれは、今回が初めてではありません。
攻撃のわずか2日後、2023年10月9日の時点で、イスラエルのイェディオト紙とAP通信が報じています。
- エジプト総合情報局の長官アッバス・カメルが、攻撃のおよそ10日前に警告した
- 内容は「何か異常なこと、恐ろしい作戦が近い」
APが取材した匿名のエジプト当局者は、こう言っています。
「何度も『大きな爆発が近い』と伝えた。しかしイスラエルは過小評価した。関心は西岸にあった」
これに対する首相府の反応も、当時から同じでした。
「完全な嘘だ」
同じ否定が、3年経っても繰り返されている。
そして今回です。
元首相のナフタリ・ベネットが、ラジオ局103FMでこう述べました。
「この事実は本当だと、私は知っている」
ベネット氏は、ビン・ザイド大統領がネタニヤフに警告したこと、そしてエジプトのカメル長官も警告したことに触れて、こう言っています。
「ネタニヤフは個人的かつ直接的な責任を負う」
イスラエル国内の反応も、激しい。
- 野党第一党を狙う元参謀総長ガディ・アイゼンコット――「ネタニヤフはイスラエルを盲目のまま破局へ導いた」と述べ、政権を取れば国家調査委員会を設置すると改めて表明
- 元首相ヤイル・ラピド――「ネタニヤフが職責を果たしていれば、虐殺は防げた」
- アイゼンコット、ベネット、リーベルマン、ゴランという4人の野党指導者が、異例の共同声明を発表
なお、アイゼンコットという名前は、この記事にすでに一度出てきています。2016年にハンニバル指令を正式撤回した、当時の参謀総長です。その人物が、いまネタニヤフ政権を追及する側の中心にいる。
ただし、ここは押さえておく必要があります。
イスラエルでは、2026年10月27日に総選挙があります。つまりこの報道は、選挙のおよそ7週間前に出ている。
政治的な文脈があることは、差し引いて見なければいけません。
「報道が政治利用されている」という可能性と、「報道の内容が事実である」という可能性は、両立します。どちらか一方を選ぶ必要はない。私は、両方を頭に置いておくべきだと考えています。
そして今回の報道で、もう一つ重いのが、攻撃の直後の話です。
※参照:[CNN] https://www.cnn.com/2026/09/08/middleeast/netanyahu-report-warning-uae-hamas-attack-intl

10月7日の夜、カタールからの電話
10月7日の夜。
カタールの首相ムハンマド・アール・サーニが、モサド長官のダビド・バルネアに電話をかけました。
内容は、こうだったとされています。
- ハマスに対して「民間人の人質をすぐ解放しなければ、カタールから追放する」と圧力をかけた
- ハマスは今すぐ、民間人を解放する用意がある。カタールが仲介できる
これに対するバルネア長官の返事は、こうでした。
「解放したいならすればいい。ハマスと話すつもりはない」
翌10月8日には、シンワルの側近ラウヒ・ムシュタハが、こう伝えたとされます。
- 第一段階では、民間人全員を見返りなしで解放しても構わない
- ただし条件が一つある。すぐに仲介者を入れて、そのあと、兵士とパレスチナ人捕虜の交換、そしてガザ封鎖の交渉を始めること
ここは、正確に言っておきます。
ネット上では「ハマスが無条件で全員解放を申し出たのに、イスラエルが断った」という形で拡散しています。
しかし、記事の本文を読むと、そうではないんですね。
「まず民間人を解放して、すぐ次の交渉に入る」という二段構えです。
さらに、記事には重要な注記があります。
シンワルの言う「民間人」は、18歳以下と50歳以上だけを指す場合がある、と。
つまり「民間人全員」の範囲そのものが、狭い可能性がある。
そして、双方の主張は食い違っています。
- バルネア長官の周辺――「地上侵攻の停止など、ほかの条件も出ていた」
- カタール側――「初日に厳しい条件は出していない」
食い違っているんです。
だからこそ、この件を「イスラエルが人質を見殺しにした証拠だ」と単純化することも、「ハマスの宣伝にすぎない」と切り捨てることも、どちらも私は取りません。
確かなのは、10月7日の夜の時点で、交渉のチャンネルは存在していたということです。そして、そのチャンネルは使われなかった。

ブリンケンの「3日待つ」
そして、アメリカです。
カタールは、同じ話を、アメリカの国務長官アントニー・ブリンケンにも伝えました。
ブリンケン長官の返事は、こうだったとされています。
「イスラエルはまだ攻撃を受けている最中で、話す相手がいない。3日待つ」
3日です。
その3日の間に、何が起きたか。
イスラエルはガザへの空爆を始め、数週間後には地上侵攻に入りました。
ここから先は、私の見方です。
アメリカは、止められた可能性がある立場にいました。
イスラエルにとってアメリカは――
- 武器の供給元であり
- 国連安全保障理事会で拒否権を使ってくれる後ろ盾
バイデン政権が本気で「人質の解放を優先しろ」と言えば、動かせた可能性はあった。
しかし、そうしなかった。
結果として、アメリカの中東政策を、事実上ネタニヤフ首相が決めることを許してしまった。
これは私の解釈です。ブリンケン長官が「戦争を望んだ」と証明されているわけではありません。
しかし「3日待つ」と言った時点で、外交ではなく軍事が先に動くことを、アメリカが受け入れたことにはなります。
外交には、時間の窓があります。開いている時間は短い。「3日待つ」という判断は、その窓が閉じるのを待つことと、実質的に同じでした。
整理します。

情報はあった。欠けていたのは、判断だった
10月7日の前に、イスラエルの手元にあったものは、これだけあります。
- ① 計画書――1年以上前から(「ジェリコの壁」・NYT報道)
- ② 計画どおりの訓練――3か月前に(8200部隊が捕捉)
- ③ 国境の監視兵の報告――数か月にわたって
- ④ エジプト情報機関からの警告――10日前に(アッバス・カメル長官)
- ⑤ シンワル本人の「地震」というメッセージ――9月15日にシンベトへ
- ⑥ UAE大統領からの45分の電話――9月末(※争われている)
- さらに、前の晩の5つの異常な兆候(IDF検証)
「警告がなかった」という説明は、もう成り立ちません。
では、なぜ止まらなかったのか。
一つの説明は、こういうものです。
当時のイスラエルには、支配的な前提がありました。
- ハマスは統治責任を負っているから、全面戦争は望まない
- カタールの資金と、労働許可で、静けさは買える
- 本当の脅威はイランとヒズボラ、そしてヨルダン川西岸だ
- 「ジェリコの壁」のような規模の越境は、能力的に無理だ
つまり、情報がゼロだったのではない。情報が、この前提に吸い込まれて、消えた。
これが、イスラエル軍自身の検証も含めた、いわば公式に近い説明です。
この説明には、一定の説得力があります。
組織というのは、前提に合わない情報を過小評価する。これは心理学でも、インテリジェンスの世界でも、繰り返し確認されてきたことです。「見たいものしか見えない」という現象は、実在します。
しかし――この説明だけで、納得できるでしょうか。

二つの説明
ここから先は、私の見立てです。事実として断定はしません。
考えてみてください。
首相が、UAEの元首から45分の電話を受けた。それを国防大臣にも、参謀総長にも、情報機関の長官にも伝えなかった。
これが本当なら、単なる判断ミスではありません。情報を、機関から遮断したということです。
そして、仮定の話ではなく、記録に残っていることがあります。
- 10月1日、シンベト長官がシンワルの暗殺を提案した。首相は「後で見る」と先送りした
- 祭りの期間、部隊は西岸へ回された
- 監視兵の報告は、握り潰された
- 前の晩の兆候も、見送られた
一つひとつは、判断ミスで説明がつくかもしれません。
しかし、これだけの数が同じ方向に重なったとき、それを全部「思い込み」で説明しきれるのか。私は、そこに疑問を持っています。
「思い込み」なら、外れる方向もあるはずなんです。過剰に警戒しすぎる方向のミスも、混ざっていていい。ところが、この件では、すべてのミスが「動かない」という同じ方向に揃っている。
ここで、いつも申し上げていることを、もう一度言います。
誰が得をしたのか。
10月7日のあと、何が起きたか。
- ガザへの大規模な軍事作戦が始まり、いまも続いています
- 7万人以上が亡くなり、瓦礫の下にはさらに多数の遺体があるとも言われています
- 訴追を抱えていた首相は、戦時の指導者として、政権にとどまりました
これは因果関係の証明ではありません。順番の指摘です。
この区別は、とても大事です。「後に起きたこと」は「そのために起こされたこと」の証明にはならない。私は、そこを飛び越えません。
ただ、順番を指摘することまで禁じられる理由も、ありません。
そして、この構図に既視感を持つ方も多いはずです。
2001年の9.11でも、アメリカ側は事前に多数の兆候を掴んでいたと指摘されてきました。アルカイダの工作員がアメリカ国内で活動していたこと、その動きをFBIなどが把握していたこと。私はこの件も継続して分析していますが、「情報はあったのに動かなかった」という構図は、10月7日と重なります。
もちろん、構図が似ていることは、同じ計画であることを意味しません。ここも断定しません。しかし、「情報がありながら動かなかった事例」が繰り返されているという事実自体は、記録しておくべきです。

まとめ──何が明らかになれば、決着するのか
必要なものは、はっきりしています。
① UAE側の公式な確認、あるいは通話記録・公式メモの公開
現在、UAE外務省は「コメントしない」と述べているだけです。否定はしていない。
しかし、もし通話記録が出てくれば、この件は一気に決着します。逆に、首相府が主張するとおり記録が存在しないことが第三者によって確認されれば、報道側が根拠を失う。どちらにしても、決着させられるのはUAE側の一次資料です。
② イスラエル国内での国家調査委員会の設置
10月7日から、まもなく3年が経ちます。
しかしイスラエルは、いまだにこの件について、国家調査委員会を設置していません。
- 軍の内部調査はありました
- シンベトの内部検証もありました
- しかし、首相の判断まで含めて調べる独立した調査は、まだ行われていない
これは、決定的な欠落です。
軍が軍を調べ、情報機関が情報機関を調べた。しかし、その全部の上にいる人物を調べる仕組みだけが、作られていない。
来月10月27日の総選挙で、野党の指導者たちは、その設置を公約に掲げています。私は、ここを注視したいと思います。
ただし――ここは冷静に見ておく必要があります。
仮に政権が交代したとしても、ハマスやヒズボラに対する姿勢そのものが変わるとは、私は考えていません。アイゼンコットもベネットも、安全保障の面ではネタニヤフ首相より強硬になる可能性すらあります。
「政権が変われば中東が変わる」という期待は、持ちすぎないほうがいい。
変わりうるのは、一点だけです。10月7日について、調べる仕組みが作られるかどうか。
最後に、はっきり言っておきます。
私は、「10月7日はイスラエルの自作自演だった」とは言いません。
ハマスが実行したことは、映像も証言も残っています。1,200人が殺されたことも、251人が連れ去られたことも、動かしがたい事実です。その事実を薄める議論には、私は与しません。
私が言いたいのは、こういうことです。
これだけの情報を持っていながら、なぜ防がなかったのか。
そして、その説明責任が、いまだに果たされていない。
答えが出ていないから、疑いが消えないんです。
疑いを消す方法は、一つしかありません。調べることです。
そして、これは他人事ではありません。
日本もまた、大きな失敗のあとに、独立した調査を行わない国です。イラク戦争について、イギリスにはチルコット報告がありました。日本には、それに相当するものがありません。
失敗を調べない国は、同じ失敗を繰り返します。なぜなら、何が失敗だったのかが、公式には確定しないからです。
表層ではなく、構造を見てください。
ここまでお読みくださりありがとうございます。また次の記事でお目にかかりましょう。
今回の内容をさらに詳しく解説した動画は、私のYouTubeチャンネルで公開しています。ぜひご覧ください。
よくある質問(FAQ)
Q1. ハーレツの報道は、事実として確定しているのですか?
確定していません。UAE大統領からネタニヤフ首相への45分の電話については、首相府が「完全な嘘だ」と全面否定し、2026年9月9日にはハーレツと記者らに対する名誉毀損訴訟の提起を表明しています。首相府は、首相府・国家安全保障会議・軍事秘書室のいずれにも通話記録がなく、通話に必要だったはずのUAE側代表者の入館記録もないと説明しています。一方、UAE外務省は「コメントしない」として否定していません。証言は複数の匿名の外国政府高官筋によるものです。現時点では「争われている」というのが正確な表現です。
Q2. では、確定している部分はどこですか?
「ジェリコの壁」の存在と入手時期(NYT報道)、2023年7月の訓練を8200部隊が捕捉していたこと、国境の監視兵が数か月にわたって報告していたこと、前夜の5つの異常な兆候(IDF自身の検証)、エジプト情報機関からの警告が2023年10月9日に報じられたこと、シンワルのメッセージが9月15日にシンベトに届いたこと、10月1日の暗殺提案が先送りされたこと――これらは確定しています。また、元シンベト長官ロネン・バルと元参謀総長ヘルツィ・ハレヴィが「知らされていなかった」と証言していることも報じられています。
Q3. 「10月7日はイスラエルの自作自演だった」と言えますか?
言えません。ハマスが実行したことは、ハマス側自身が撮影・配信した映像を含め、多数の証拠が残っています。また「死者の大半はイスラエル側が殺した」という主張も、私は採用しません。ただし、ハンニバル指令的な発想に基づく指示が当日出ており、イスラエル側が自国民を撃った事例があったことは、IDF自身の調査が認めています。この二つは両立します。
Q4. なぜ、いまこの報道が出たのですか?
2026年10月27日にイスラエルで総選挙があるからです。報道は選挙のおよそ7週間前に出ており、野党側は国家調査委員会の設置を公約に掲げています。したがって政治的な文脈があることは、差し引いて見る必要があります。ただし、「政治利用されている」ことと「内容が事実である」ことは両立しうるため、どちらか一方に決めつけないことが重要です。

