マイダン革命の”隠蔽された真実”──100人を撃った「第三の狙撃手」と、ウクライナ戦争の起点になった偽テロ・クーデター

こんにちは。金子吉友です。

今日は、ウクライナ紛争の”起点”となった、2014年のマイダン革命について、その「隠蔽された真実」というテーマでお届けします。この2014年に何が起きたのかが分かっていないと、いまのウクライナ紛争の構図は、まったく見えてきません。私自身、以前からある程度は情報を集めていたのですが、今回、あることをきっかけに、あらためて詳しく調べてみました。

先に、いつものお約束をしておきます。今日お話しするのは、確認できる事実と、私自身の見立てを、はっきり分けたうえでのお話です。 根拠のない、雰囲気だけの陰謀論には与しません。むしろ、報道ベースの事実を一つずつ並べていくと、公式の物語とはまるで違う「構造」が浮かび上がってくるのです。では、始めます。

目次

マイダン革命とは何だったか──「天の100人」と、公式の物語

まず、事実を確認します。2014年2月、ウクライナの首都キエフのマイダン広場(独立広場)で、反政府デモと政府の衝突が激化し、2月20日、狙撃によって100人以上が死亡しました。デモ参加者と警察官の双方です。この犠牲者たちは、のちに「天の100人(Heavenly Hundred)」と呼ばれました。

そして、この事件は、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領の失脚につながります。彼はロシアへ亡命し、西側寄りの新政権が誕生した。これが、いわゆる「マイダン革命」です。公式の物語は、こうです。「ヤヌコビッチ政権の治安部隊(ベルクート)が、平和的なデモ隊に発砲し、市民を虐殺した」。私たちは、そう教わってきました。

しかし、本当にそうなのか。もしこの100人の死が、自然に発生した犠牲ではなく、意図的に引き起こされたものだったとしたら——景色は、がらりと変わってきます。「民衆の犠牲」の物語は、「殺人クーデター」の物語に変わる。今日は、そこを見ていきます。

なお、この革命の背後にアメリカが関与していたことは、もはや動かしがたい事実です。当時のオバマ政権の国務次官補ビクトリア・ヌーランドが、革命のさなかにキエフに赴き、デモ隊にクッキーを配っていた姿は、よく知られています。ですが、話はクッキーを配るレベルではありませんでした。

弾道が語る矛盾──カチャノフスキー教授、10年の研究

マイダン狙撃の現場と弾道の矛盾

最初に紹介したいのが、カナダ・オタワ大学のイワン・カチャノフスキー教授による、10年以上におよぶ学術調査です。彼は、ビデオ証拠、法医学報告、目撃証言、そして弾道分析を、査読付き論文として積み上げてきました。

その結論は、公式見解を根底から覆すものでした。「致命的な銃撃の多くは、野党側が支配していた建物から発射された」というのです。ヤヌコビッチ側の治安部隊ベルクートからではありません。具体的には、ホテル・ウクライナと、音楽院(コンセルバトリー)という二つの建物。いずれも、抗議者たちの「後ろ」と「上」に位置しており、犠牲者は背後から、上方から撃たれていた。弾丸の弾道、入り口の傷口、そしてビデオ証拠は、「政府の位置からの発砲」という公式見解と、完全に矛盾していたのです。

教授の分析によれば、これらの野党支配下の建物から狙撃手が狙い、あるいは発砲する様子を捉えた動画が、少なくとも10本以上も存在するといいます。その中には、マイダン側の武装した人物が建物内を移動する映像や、CNNが撮影しながら放送しなかった未放送の映像なども含まれる、と指摘されています。さらに、2023年のキエフの裁判所判決ですら、ホテル・ウクライナがマイダン活動家(極右を含む)の支配下にあり、そこから射撃があった可能性を、一部認めているのです。10年をかけて、公式の物語の”ほころび”は、司法の場にまで及び始めている。にもかかわらず、肝心の全体像は、いまだに封印されたままなのです。

思い出してください。手前に、デモ隊の民間人がいる。その背後に、治安部隊ベルクートがいる。公式見解では、この背後のベルクートが民間人を撃ったことになっている。ところが教授の結論では、致命傷は、さらにその奥にそびえる「ホテル・ウクライナの上層階」と「音楽院」の二か所から来ていた。この二つの建物は、いずれも当時、野党側(反ヤヌコビッチ側)が支配・警備していた建物でした。

※参照:Ivan Katchanovski(オタワ大学)査読付き研究「The Maidan Massacre」(動画・法医学・弾道分析)

BBCが報じた「語られなかった物語」──狙撃者セルゲイの告白

三つの独立した証拠・BBCとドイツARD

これは、決してロシア寄りメディアだけの主張ではありません。イギリスのBBCが、2015年2月11日、「マイダン虐殺の語られなかった物語(The untold story of the Maidan massacre)」という記事を出しています。 記者は、ガブリエル・ゲートハウス。私も、この記事を読みました。

この記事の核心は、匿名の元兵士「セルゲイ」の告白です。彼は、1か月以上マイダンに参加していたデモ側の人間で、BBCの取材にこう証言しました。「私は、音楽院から、警察の足元に向かって撃っていた」と。彼は2月19日の夕方、ある男から2丁の銃を受け取り、そのうちの「サイガ」という高速弾を撃つ猟銃を選び、音楽院近くの郵便局に隠した。そして2月20日の早朝、音楽院に連れて行かれ、午前7時前の約20分間、もう一人の銃撃犯とともに警察へ発砲した、と語ったのです。「殺すつもりで撃ったわけではない」と本人は言いますが、デモ側の人間が、占拠した建物から発砲していたという事実は、これで動かなくなりました。

さらに、彼の証言は部分的に裏付けられています。その朝、当時野党議員だったアンドリー・シェフチェンコは、広場にいた機動隊の責任者から電話を受けた。「アンドレイ、誰かが私の部下を撃っている。音楽院から撃っている」と。つまり、警察側にも、この「野党支配下の建物」からの銃撃によって、犠牲者が出ていた可能性が浮かび上がるのです。そして午前8時過ぎには、一人の写真家が、音楽院の内部で「銃を持った複数の男たち」を撮影しています。この写真は、実際に存在します。

もう一つ、見過ごせないのが、その後の「捜査」の異常さです。BBCの記事によれば、事件で逮捕されたのは、わずか3人。全員がベルクート(機動隊)の特殊部隊員でした。しかも、そのうち下級の2人だけが拘束され、部隊の指揮官サドヴニクは保釈後、そのまま姿を消したといいます。100人以上が死んでいるのに、逮捕はたった3人で、指揮官は行方をくらます。被害者側の弁護士や検察内部の情報筋は、「機動隊では説明のつかない死者の捜査は、裁判所によって妨害されている」とBBCに証言しています。捜査そのものが、最初から真相にたどり着かないように、設計されていた——そう疑わざるを得ないのです。

同じ方向を、ドイツの公共放送ARD/WDRの調査報道番組「MONITOR」(2014年4月10日放送)も報じています。目撃者のデモ隊員「ミコラ」は、こう証言しました。「20日、私たちは背後から、ホテル・ウクライナの8階か9階あたりから撃たれた。あれはプロの傭兵の仕業だ」と。捜査員が現場の樹木に残された弾痕をレーザーで結ぶと、その弾道は、政府ビルではなく、野党拠点だったホテル・ウクライナの上層階を指し示した、とも報じています。

※参照:BBC「The untold story of the Maidan massacre」(Gabriel Gatehouse・2015年2月11日)/ARD・WDR「MONITOR」(2014年4月10日放送)

イタリアの告白──ジョージア人狙撃手たちと、名指しされた”指令役”

指令役と雇われた狙撃手の相関図

もう一つ、決定的な番組があります。2017年11月、イタリアのテレビ(Matrix Channel)で放送されたドキュメンタリー「ウクライナ・隠蔽された真実」です。

この番組には、複数のジョージア(グルジア)人の元軍人が実名で出演し、驚くべき告白をしました。「自分たち、および他のジョージア人・リトアニア人の狙撃手たちは、野党支配の建物から、警察と抗議者の”双方”に発砲するために雇われた」と。そして、その指令役(ハンドラー)の名前まで挙げたのです。テレビの取材に、リスクを背負って顔と名前を出す。そこまでする理由が、どこにあるのか。

挙がった名前を整理します。まず、最も頻繁に出てくるのが、マムカ・マムラシビリ。ジョージアのサーカシビリ元大統領の軍事顧問だった人物で、マイダン革命の半年ほど前、2013年からウクライナに入国していました。そしてそのサーカシビリ元大統領自身も、上位の指示者として名前が挙がっています。さらに、当時の野党政治家セルヒー・パシンスキー(のちに最高議会の国家安全保障・国防委員会委員長)。彼は、ホテル・ウクライナや音楽院で武器を配布し、「直接撃て」と命令したと複数人が証言しています。マイダンの司令官と呼ばれたアンドリー・パルビー(のちに最高議会議長)の名も挙がる。そして、元米陸軍の狙撃手とされるアメリカ人、ブライアン・ボイエンガー。アメリカ人まで、絡んできているのです。

もちろん、これらの証言だけで証明が完結するわけではありません。金で嘘の証言をした可能性も、脅された可能性も、ゼロではない。そこは留保します。 しかし、考えてみてください。テレビの取材に、顔と名前を出して出演する。しかも「自分は雇われて人を撃った」という、自らを罪に問いかねない告白です。そこまでのリスクを背負う人間が、複数、それも別々に現れる。単なる作り話とは、考えにくい。そして何より、重要なのは、指令が「双方を撃て」だったという点です。ヤヌコビッチ側だけでなく、味方であるはずのデモ隊の民間人まで撃つ。両方を撃つよう命じられた、というのです。

ここで、点と点がつながります。マイダンの半年前、2013年に、ジョージア大統領の軍事顧問がウクライナに入国していた。ホテル・ウクライナと音楽院という、広場を狙撃するのに絶好の高層建物を、野党側が占拠し、厳重に警備していた。そこに、金で雇われたプロの狙撃手が送り込まれ、「双方を撃て」と命じられた。数か月も平和に続いていたデモが、たった一日で100人が死ぬ殺戮の場に変わったのは、この”仕込み”があったからではないか——そう考えると、あまりにきれいに、絵が揃ってしまうのです。

※参照:イタリア Matrix Channel ドキュメンタリー「ウクライナ・隠蔽された真実」(2017年11月放送)

「双方を撃て」の意味──自作自演で作られたクーデター

自作自演クーデターの型・5ステップ

なぜ、味方まで撃つのか。ここが、今日の核心です。

考えてみてください。「双方を撃て」という命令の狙いは、混乱(カオス)を作ることです。何者かに撃たれた治安部隊は、「デモ隊が武器で自分たちを撃っている」とパニックに陥る。恐怖に駆られた治安部隊が、民間人に向けて引き金を引く。こうして大混乱の中で、100人もの人が犠牲になる。そして、その全責任を、ヤヌコビッチ政権になすりつける。「政権が市民を虐殺した」という物語を作り、それを口実に、武装した権力奪取を正当化する——これは、いわゆる自作自演(フォールス・フラッグ)です。

この構図は、「作られた事件」の教科書どおりのステップで展開しました。ステップ1、下準備。 政権交代のための組織・資金・人物は、すでに整っていた。ここで登場するのが、アメリカのNED(全米民主主義基金)です。NEDは、いわゆる「カラー革命」の資金源であり、そのノウハウを現地の活動団体に訓練・共有する教育機関でもありました。ジョージ・ソロス系の団体を経由した資金の流れも指摘されています。ステップ2、事件。 100人以上が狙撃手に殺害される。ステップ3、即時避難(ブレーム)。 西側のメディアと政府は、独立した調査結果が出る前、数時間以内に、ヤヌコビッチを非難した。ステップ4、権力奪取。 武装集団が政府を打倒し、あらかじめ選ばれていた首相(ヤツェニュク)が就任する。そして、ウクライナは一気にNATO志向を強めていく。ステップ5、調査の抑圧。 独立した国際調査は行われず、10年以上経ったいまも、ウクライナ政府は調査を終えていません。

このアメリカの関与を象徴するのが、ヌーランド国務次官補と、当時の駐ウクライナ米大使パイアットの、リークされた電話です。政権が倒れた後、誰を新しい指導者に据えるかを、二人が話し合っていた。ヌーランドが「ヤツ(ヤツェニュク)がいい」と口にする、その音声が流出したのです。アメリカが、この政変を背後でコントロールしていた——その状況証拠が、本人たちの声で残ってしまった。政変が「起きた後」ではなく「起きる前」に、次の首相の名前まで決まっていた。これが何を意味するのか、考えてみてください。

なぜ、こうした証拠が積み上がっても、真相が表に出ないのか。当時のウクライナは、裁判所・検察・警察が、事実上ぐるになっていたからです。都合の悪い調査には圧力がかかり、妨害される。だから、客観的な調査は一向に進まない。西側の政府もまた、独立した国際調査を、ただの一度も求めませんでした。「調べれば分かること」を、誰も調べようとしない。その”不作為”こそが、最大の証拠だと、私は思っています。都合の悪い真実は、大声で否定されるのではなく、静かに「調べられないまま」放置されるのです。

※参照:ヴィクトリア・ヌーランド=ジェフリー・パイアット駐ウクライナ米大使 リーク通話(2014年)/米NED(全米民主主義基金)のカラー革命関与

エストニア外相のリーク電話──「同じ狙撃手が、双方を殺した」

エストニア外相リーク電話と戦争への布石

そして、もう一つ。この事件を決定的に「怪しく」しているのが、エストニア外相のリーク電話です。これは、イギリスのガーディアン紙が2014年3月5日に、そしてニューヨーク・タイムズやCNNも報じた、公的に確認された事実です。

エストニアの外務大臣ウルマス・パエットと、EUの外務・安全保障政策上級代表キャサリン・アシュトン。この二人の電話の内容が、リークされました。パエットは、マイダンで医療活動を担っていた医師オルガ・ボゴモレツから聞いた話として、こう語ります。「すべての証拠が、同じ狙撃手が(警察とデモ隊の)双方を殺していることを示している。彼女は写真も見せてくれて、医師として『同じ種類の弾だ』と言えると言っていた」と。そして、こう続けます。「本当に気になるのは、いまの新しい連立政権が、何が起きたのかを正確に調査したがらないことだ。狙撃手の背後にいたのは、ヤヌコビッチではなく、新しい連立の誰かだったという理解が、ますます強まっている」と。

これに対するアシュトンの反応は、「私たちは調査したい。それは聞いていなかった……なんてこと」というものでした。警察側とデモ隊側、双方の犠牲者が、「同じ種類の弾」で撃たれていた。これは、双方が別々の陣営に撃たれたのではなく、同じ第三の狙撃手が、両方を撃っていたことを示唆します。「双方を撃て」という、あのイタリアの証言と、ぴたりと符合するのです。

もちろん、その後、当事者たちは口をそろえて「あれは懸念を述べただけだ」「そんなことは言っていない」と否定し、白を切っています。医師のオルガも、のちに証言を後退させました。否定が出れば証拠にならない、という逃げ道が、周到に用意されている。 しかし、これだけの証拠が積み上がってもなお、まともな独立調査が一切行われない。その事実そのものが、何かを物語っているのです。

※参照:The Guardian「Ukraine crisis: bugged call reveals conspiracy theory about Kiev snipers」(2014年3月5日)/NYT・CNN 同件報道/Paet–Ashton通話(エストニア外務省が事実と確認)

まとめ──偽テロによるクーデターと、戦争への「布石」

証拠を並べてみましょう。カチャノフスキー教授の10年の弾道研究。BBCが報じた狙撃者セルゲイの告白。ドイツARDの目撃証言。イタリアのジョージア人狙撃手の告白。ヌーランドのリーク電話。そして、エストニア外相の「同じ弾」証言。これだけの事実が同じ方向を指しているのに、「100%ヤヌコビッチ政権が悪い」と片づけてしまうのは、あまりに早計です。

もちろん、私は断定はしません。実行犯を、名指しで確定させることはできない。それが野党側なのか、第三の勢力なのかも、確定はできません。しかし、少なくとも、「体制側ではない、組織的な第三の勢力」が関与していた可能性は、極めて濃厚です。 そうでなければ、数か月にわたって平和に続いていたデモが、ある日突然、100人が死ぬ殺戮の現場に変わった説明が、つかないのです。

こう申し上げると、「金子はまた陰謀論めいたことを言っている」と思われるかもしれません。ですが、どうか、ご自身で調べてみてください。今日お話ししたことは、一つひとつが、BBC、ガーディアン、ドイツの公共放送、イタリアのテレビ、そして査読を経た学術論文という、表の報道と研究から引っ張ってきた事実です。陰謀でも何でもない。ただ、それらを一枚のテーブルに並べて眺めたとき、何が浮かび上がるか——そこから先が、私の見解です。私は、今回あらためて調べて、こう結論しました。マイダン革命は、カラー革命などという生易しいものではない。罪のない民間人100人を「ジェノサイド」し、その罪を敵になすりつけた、偽テロによるクーデターだった、と。ここまで証拠が出そろった以上、「100%ヤヌコビッチが悪い」で思考を止めるほうが、よほど不誠実だと思うのです。

そして、この話は、ここで終わりません。マイダン後に誕生した新政権は、一転してNATO加盟へと舵を切ります。ここが重要です。前政権のヤヌコビッチは、親ロシア派ではありましたが、「NATOには加盟しない」と明言していました。それが、政変を境に、真逆へと切り替わったのです。ロシアが、自国の玄関先にNATOが迫ることを、最大の安全保障上の脅威と受け止めてきたことは、よく知られています。マイダンは、そのロシアの「越えてはならない一線」を、意図的に踏み越えるための政変だったとも読めるのです。そして、次の次の大統領が、ゼレンスキーです。

さらに、2014年から、もう一つの動きが同時に進みました。ウクライナ東部のロシア系住民への弾圧です。象徴的な事件が、オデッサの虐殺。労働組合会館に閉じ込められた50人以上が、火をつけられた建物の中で亡くなり、あるいは炎から逃れようと3階から飛び降りて命を落としました。あまりに凄惨な出来事です。そして、ロシア語やロシア系の文化が公的に禁じられていく。「弾圧」という言葉ではまだ生ぬるい、迫害が、2022年の開戦まで、実に8年間続いたのです。だからこそ、ロシアの侵攻(特別軍事作戦)の大きな目的の一つは、ロシア系住民が9割以上を占めるドンバス地方(ドネツク・ルガンスク)の解放でした。西側の報道は、この「8年間」を、ほとんど語りません。しかし、この8年を抜きにしては、2022年は、決して理解できないのです。

マイダン革命がなければ、ウクライナ紛争は起きていなかったかもしれない。言い換えれば、これは、ロシアとウクライナを戦争させるために打たれた「布石」だった、と私は見ています。アメリカが、20年近くかけて、ウクライナを戦争へと導く仕込みをしてきた。その決定的な一手が、このマイダン革命だった。

思い出してほしいのですが、かつてプーチン大統領は、「ロシアはNATOに加盟することはできないのか」と、クリントン政権と話していた時期すらありました。つまり、対立ではなく、協調の側に、ロシア自らが動こうとしていた時期があったのです。それを、アメリカ側が、ウクライナをNATOへ引き込むために、次々と手を打ち、ロシアとウクライナの関係を悪化させ、対立させ、ついに侵攻という「結果」を引き出した。追い込んで、追い込んで、相手から手を出させる。かつて日本が、石油の輸入を断たれ、追い込まれた末に真珠湾へと向かわされた構図と、驚くほど似ています。 相手に「最初の一発」を撃たせれば、自分は「被害者」の顔で戦争に入れる。これは、大国が繰り返し使ってきた、古い手口です。

2022年のロシアの侵攻という「結果」だけを、切り取って見ていては、何も分からない。その8年前の、雪のマイダン広場で撃たれた100人にまで、時間をさかのぼらなければ、本当の構図は見えてこないのです。表の歴史ではなく、その奥の構造を。誰が得をし、誰が布石を打ったのかを、どうか見てください。 歴史は、丁寧に証拠を追わなければ、決して本当の姿を見せてはくれません。今日ご紹介できなかった話も、まだたくさんあります。機会を見つけて、また続きをお話しできればと思います。名もなき100人の死の上に、いまの戦争が積み上がっている——その事実だけは、決して忘れずにいたいと、私は思っています。

今回の内容をさらに詳しく解説した動画は、私のYouTubeチャンネルで公開しています。ぜひご覧ください。

よくある質問(FAQ)

Q1. マイダン革命の「公式の物語」とは何ですか? 2014年2月、キエフのマイダン広場で親ロシア派ヤヌコビッチ政権の治安部隊(ベルクート)が平和的なデモ隊に発砲し、100人以上(「天の100人」)を虐殺した、という物語です。これによりヤヌコビッチは失脚・ロシアへ亡命し、西側寄りの新政権が誕生しました。しかし近年、この「政府が一方的に虐殺した」という公式見解に、複数の独立した証拠が矛盾しています。

Q2. 「致命傷は野党側の建物から」という根拠は何ですか? カナダ・オタワ大学のカチャノフスキー教授による10年以上の弾道・映像・法医学研究が、致命的な銃撃の多くは野党側が支配していたホテル・ウクライナと音楽院から、抗議者の背後・上方より発射されたと結論づけています。BBC(2015年)やドイツARDの「MONITOR」(2014年)も、目撃証言と弾道分析で同方向を報じています。

Q3. 「双方を撃て」という命令の狙いは何ですか? デモ隊と警察の双方を撃って混乱を作り、パニックに陥った治安部隊が民間人を撃つよう仕向け、その全責任をヤヌコビッチ政権になすりつけて武装権力奪取を正当化する——いわゆる自作自演(偽旗)です。イタリアのドキュメンタリー(2017年)でジョージア人狙撃手が「双方を撃つよう雇われた」と告白し、エストニア外相のリーク電話の「同じ狙撃手が双方を殺した」という証言と符合します。

Q4. これは陰謀論ではないのですか? 金子氏は、報道ベースの事実(BBC・ガーディアン・ドイツARD・査読論文・リーク電話)のみを並べており、断定はしていません。実行犯の特定はできないと明言しつつ、「体制側でない組織的な第三の勢力の関与は濃厚」とし、まともな独立調査が10年以上行われない事実そのものを問題視しています。事実と見立てを厳密に分ける姿勢を貫いています。

Q5. マイダン革命は、いまのウクライナ戦争とどうつながるのですか? マイダンで誕生した新政権は、前政権が明言していた「NATO非加盟」を覆し、NATO加盟へ舵を切りました。同時に、東部のロシア系住民への迫害(オデッサの虐殺、ロシア語禁止など)が8年間続きます。これがロシアの侵攻(ドンバス解放を目的の一つとする)の背景です。つまりマイダンは、ロシアとウクライナを戦争へ導く「布石」だった、というのが金子氏の見立てです。2022年だけを見ても構図は見えず、2014年までさかのぼる必要がある、と強調しています。

関連記事

ここまでお読みくださりありがとうございます。また次の記事でお目にかかりましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

反DS歴史研究者、調査ジャーナリスト。YouTube『あつまれニュースの森』(登録者10万人)にて反グローバリズムの視点で世界情勢・国内政治を解説。

本業だったコンサルタントから徐々に歴史研究にシフトしていく。日々リサーチする中、メディアや歴史が嘘だらけであり、この世界が一部の権力機構によって支配されてきたことに強烈な違和感と憤りを覚えるようになる。

グローバリズムの根源と実態を徹底的に研究。その歴史を旧約聖書まで遡り、現在のいわゆるディープステートのルーツがハザール系とアングロサクソン系の2系統にあることを突き止める。

2021年、YouTubeを開始し、グローバリストのルーツを徹底解剖するオンラインサービス『金子ゼミ』を立ち上げる。

グローバリストにより”修正”された歴史を”修復”する「歴史復元主義」を根本理念とする。

情報発信者としての信条は「左も右もない反グローバリズム・国益第一主義」「不偏不党」。

目次