タッカー・カールソン激白「イスラエルはJFK暗殺に関与」──封印された60年、書簡の戦い、そして一枚の暗殺相関図

こんにちは。金子吉友です。

今日は、アメリカの保守系ジャーナリスト、タッカー・カールソンが、つい先日口にした一つの言葉から始めます。「イスラエルは、JFK暗殺に関与していた」──何十年ものあいだ、アメリカで決して触れてはならないタブーとされてきた領域に、彼は正面から足を踏み入れました。

先に申し上げておきます。今日お話しするのは、断定ではありません。確定した事実と、まだ証明されていない推論を、私は厳しく分けてお話しします。ですが、事実を一つずつ積み上げていくと、そこには、目をそらしたくなるような、しかし確かに存在する「構造」が浮かび上がってきます。では、始めます。

目次

タッカーの、衝撃の激白

タッカーの激白・イスラエルがJFK暗殺に関与

タッカー・カールソンは、カメラに向かって、静かにこう語りました。「何十年ものあいだ、これは触れてはならないタブーとして扱われてきた。だが今、アメリカ政府の内部に詳しい人々が、私にこう告げた。イスラエルはJFK暗殺に関与していた、と」。

ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺。1963年11月22日、テキサス州ダラスでのパレード中に起きた、20世紀アメリカ最大の未解決事件です。その黒幕をめぐっては、CIA、マフィア、ソ連、キューバ──さまざまな説が語られてきました。ですが、「イスラエルが関与した」という説だけは、アメリカのメディアで口にすること自体が、長くタブーとされてきたのです。タッカーは、そのタブーに、正面から触れた。あれだけの影響力を持つ人間が、公然とイスラエルの関与を断言する。これまで、そんな人物はいませんでした。私は、彼の勇気を、率直にすごいと思います。

ただ、いきなり「タッカーがこう言った」と結論から入れば、それはただのゴシップです。私が今日、皆さんと確かめたいのは、こういうことです。そもそも、イスラエルにとって、ケネディを排除する「動機」など、本当にあったのか。もし動機がまるで存在しないなら、この話は雑音にすぎません。ですが、もし確かな動機が、しかも一次資料として残る形で存在していたとしたら。話は、まったく変わってきます。まずは、そこから見ていきましょう。

イスラエルに、JFKを排除する「動機」はあったのか

JFKを排除する動機はあったのか・イスラエルデスク

結論から申し上げます。動機は、ありました。それも、外交史に一次資料として明確に残るほど、深刻な対立が。

表向き、ケネディ政権とイスラエルは友好国でした。ですが、その裏側で、両者は複数の問題で激しくぶつかり合っていた。しかもそれは、暗殺のわずか数か月前まで続いていたのです。

ここで、一つ、伏線として頭に入れておいてください。ケネディが大統領になる10年前、1951年のことです。アメリカのCIAとイスラエルの情報機関モサドのあいだに、一人の男を窓口とする、極めて深い協力関係が結ばれました。CIAの中に、事実上の「イスラエル・デスク」──イスラエル担当の専門部署が作られたのです。その男の名は、ジェームズ・ジーザス・アングルトン。今日の話の、もう一人の主人公です。ケネディがイスラエルと対立していた、まさにその時期、アメリカの情報機関の内部には、モサドと深くつながった強力な人脈が、すでに根を張っていた。この二つを、頭の片隅に置いておいてください。

JFKとイスラエル、三つの対立

JFKとイスラエル三つの対立

ケネディとイスラエルの対立は、主に三つの争点に整理できます。

一つ目は、核開発をめぐる対立です。 イスラエルはネゲブ砂漠のディモナという場所で、秘密裏に核施設を建設していました。ケネディは核兵器の拡散を、アメリカ外交の最優先課題の一つと位置づけ、同盟国であるイスラエルにも例外を認めず、この施設の査察を強く要求しました。これが、三つの中で最も激しい対立となります。

二つ目は、パレスチナ難民の問題です。 ケネディは、パレスチナ難民が故郷に戻る「帰還の権利」、あるいは適切な補償を支持する立場を、はっきり示していました。これは、ユダヤ人国家としてのイスラエルの人口構成を根本から揺るがしかねない問題です。当時のケネディ政権は、中東で中立的な外交を取ろうとし、エジプトとも友好な関係を築こうとしていました。この「中立」の姿勢そのものが、イスラエルを苛立たせていたのです。

そして三つ目。 ケネディ政権は、司法長官を務めていた弟のロバート・ケネディが中心となって、アメリカ・シオニスト評議会(AZC)という団体に対し、外国代理人登録法(FARA)に基づく登録を強く求めていました。このAZCこそ、今日アメリカで絶大な影響力を持つイスラエル・ロビー、AIPACの前身にあたる組織です。ケネディ兄弟は「あなた方は外国の代理人だ。ならば、そう登録しなさい」と迫った。1962年11月に正式命令、1963年10月には「72時間以内に登録せよ」という督促まで行われています。AZCは、これを拒み続けました。そして──ケネディが暗殺されたあと、この圧力は、急速に弱まっていくのです。

この問題は、現代にも尾を引いています。AIPACは、いまなお、完全にイスラエルの利益を代理する組織でありながら、FARAに登録していません。 だからこそ、トーマス・マッシー議員のように、これに異議を唱える議員も出てきているのです(イスラエル・ロビーの完成された構造は、記事「AIPACを超えるアメリカ最大のイスラエル・ロビー「CUFI」とは何か」もご覧ください)。

決定的要因──核をめぐる「書簡の戦い」

書簡の戦い・ディモナ核査察1963

三つの中で最も激しかった、核をめぐる対立を詳しく見ます。ディモナ核施設をめぐる攻防は、「書簡の戦い(バトル・オブ・ザ・レターズ)」と呼ばれています。1963年、ケネディと、イスラエルのベン=グリオン首相、そして後任のエシュコル首相とのあいだで交わされた、一連の公式書簡による攻防です。これは、アメリカの国家安全保障公文書館などが公開している、れっきとした一次資料に基づく史実です。

時系列を追います。1963年4月2日、アメリカはイスラエルに、半年ごとにアメリカの科学者がディモナを制限なく査察することを正式要求。イスラエルは「平和目的の施設だ」と主張し、のらりくらりと回答を先延ばしにしました。ケネディの書簡は、しだいに厳しさを増していきます。そして6月15日、ケネディが送った最も強い書簡。そこにはこう記されていました。ディモナについて信頼できる情報を得られない場合、「アメリカのイスラエルに対するコミットメントと支援は、深刻に損なわれる可能性がある」。同盟国の首脳への言葉としては、ほとんど最後通牒に近い、異例の強さでした。ところが、まさにこの書簡が届けられる、その同じ日。ベン=グリオン首相が、突然、辞任を発表するのです。

ケネディは諦めません。7月5日、後任のエシュコル首相に、ほぼ同じ内容の書簡を送る。エシュコルは「その最後通牒のようなトーンに驚いた」と返答したと記録されています。押し切られる形で、8月、イスラエルは原則として査察に同意しました。そして11月22日、ケネディはダラスで撃たれます。結局、1963年のうちに本格的な査察は行われませんでした。アメリカの科学者による初の本格査察が実現したのは、暗殺の翌年、1964年1月。ジョンソン政権下でのこと。そしてジョンソン政権以降、この核査察をめぐる圧力は、目に見えて緩んでいきました。

この時系列を、もう一度、静かに眺めてみてください。最後通牒級の書簡が届いた同じ日に、首相が辞任する。査察に同意した3か月後に、大統領が撃たれる。そして翌年、後継政権のもとで、圧力はあっけなく緩んでいく。 これは、あまりに整いすぎた時系列です。もし、これが小説なら、誰もが「出来すぎだ」と感じるでしょう。だからこそ、60年ものあいだ、多くの研究者が、この符合に引きつけられてきたのです。

ケネディの死とともに、イスラエルへの核の圧力が消えた。これは、結果として事実です。 ただし──ここで金子節として、鉄則を一つ申し上げます。その死が、この圧力を消すために引き起こされたのかどうか。それを示す証拠は、ありません。「時系列が符合すること」と「そこに因果があること」は、まったくの別物です。事実は事実として、因果は因果として、分けて見てください。 この一線を守れるかどうかが、真実の探究者と、ただの陰謀論者とを分けるのです。

ネットで語られる「FRB通貨発行権」説を検証する

FRB通貨発行権説の検証

ケネディ暗殺の動機として、ネット上で非常によく語られるもう一つの説も、あわせて検証しておきます。「ケネディは大統領令11110号を出して、FRB(連邦準備制度)から通貨発行権を奪い、政府に取り戻そうとした。それが銀行家の怒りを買って暗殺された」という説です。

結論から言えば、これは成り立ちません。 この大統領令11110号は、新しい権限を作り出したものではなく、既にあった権限を財務長官に委任するだけの、事務的な命令でした。当時ケネディ政権は、銀を裏付けにした「銀証券」という古い通貨を段階的に廃止し、それを連邦準備券(FRBの発行するお札)に置き換えようとしていた。その移行期間のつなぎとして出されたのが、この命令です。つまりケネディはFRBを潰そうとしたどころか、むしろFRBの役割を強める方向に動いていた。アメリカの議会調査局やファクトチェック機関も、「ケネディがFRBを終わらせようとした証拠はない」と明確に否定しています。

私は、この説を採りません。根拠がないからです。ここが、私が最も大事にしている一線です。陰謀論的な問いを立てる者ほど、本物と偽物を、誰よりも厳しく見分けなければなりません。 動機を語るなら、書簡という一次資料が残るディモナの対立こそが本物であり、FRBの話は雰囲気だけで語られた俗説です。(ただし、ケネディが中央銀行制度そのものに疑問を抱いていたのも事実で、この一件をもって「ケネディはグローバリスト側だった」と断定するのも、また早計です。)この区別ができるかどうかが、真実に近づけるか、雑音に飲まれるかの、分かれ道になります。

タッカーは何を語ったのか──そして「影のCIA長官」アングルトン

影のCIA長官アングルトン

動機が一次資料の残る形で存在したことを確認したうえで、冒頭で保留したタッカーの発言に戻ります。

タッカーはこう続けています。公開されたJFK関連ファイルの中には、すでに証拠が含まれている。だが、最も強力な証拠は、政府が今なお公開を拒んでいる文書の中に隠されたままだ、と。さらに彼は具体的な名前を挙げました。トム・コットン上院議員のスタッフと直接話した。そのスタッフは「コットン議員が、残りのJFKファイルの公開を妨害している」と自分に告げた、と。そして、なぜ自分がもはやイスラエルと関わりたくないのかを説明して、こう吐き捨てました。「この連中は吐き気がする。ナチスがやったのと同じように、文字どおりのジェノサイドをやっている。なぜ我々が、こんな連中と手を組んでいるのか」。元CIA職員のジョン・キリアクーも、「公開された文書のすべてが、イスラエルの関与を直接指し示している」と述べていると、動画は伝えています。ただし、ここまではあくまでタッカーやキリアクーの「主張」であり、証拠そのものではありません。 そこは、はっきりさせておきます。

そのうえで、私がどうしてもお伝えしたい、動かしがたい史実があります。それが、あの男、ジェームズ・ジーザス・アングルトンです。アングルトンは、1954年から74年まで20年間、CIAの防諜(スパイを狩る)部門のトップに君臨し続けた人物。「影のCIA長官」とも呼ばれ、あだ名は「幽霊」、そして「蜘蛛」。昼からマティーニを3杯あおり、趣味は蘭の栽培とダンテの詩。ほとんど表に姿を見せず、影のように諜報の世界を動かした、病的なまでの猜疑心の持ち主でした。このアングルトンこそが、1951年、CIAの中にイスラエル・デスクを作り、モサドとの窓口を20年以上ほぼ独占した張本人です。モサド長官メイール・アミットは、彼を「連中の中で一番のシオニストだ」と評した。イスラエルでは今も高く評価され、エルサレムの近くには彼を記念する木が植えられているほどです。

補足すると、モサドに支配された現在のCIAの基盤を作ったのも、このアングルトンだと言われています。いまのCIAが、いかにイスラエルの情報機関と深く結びついているか。その原型は、70年以上前、この一人の男の手で作られたのです。

そして、ここが核心です。このアングルトンの部署は、モサドとの窓口である「イスラエル・デスク」を握っていた。それと同時に、彼の部署は、暗殺犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドのファイルも管理していた。しかも、暗殺の前に、オズワルドを監視対象から外した記録まで残っている。「イスラエルとの秘密の窓口」と「暗殺犯のファイル」を、同じ一人の男が、同時に握っていたのです。もう一度申し上げます。これは、アングルトンが暗殺に関与したという証拠ではありません。 関与を示す公式の証拠は、現時点で存在しません。ですが、この一点だけは、動かしようのない史実なのです。だからこそ、60年経った今も、この疑いは消えないのです。

一枚の相関図──私が調べた「暗殺ネットワーク」

JFK暗殺ネットワーク相関図(調査に基づく見立て)

ここからは、私自身が調べてたどり着いた、暗殺ネットワークの相関図をご紹介します。あくまで私の調査に基づく結論であり、断定ではありません。 そのうえで、点と点がどう線でつながるのかを、見てください。

まず、アングルトンは、JFK暗殺の前日に、部下のハワード・ハント(CIAメキシコシティ支局長代理)をダラスに送り込んだとされています。ハントは後に「偽の暗殺計画」に巻き込まれ、容疑者の一人として名前が挙がる。スケープゴート(身代わり)として罪をなすりつけるための、偽装の計画だった可能性が指摘され、その差配役がアングルトンだったのではないか、と言われています。

次に、マイヤー・ランスキー。ユダヤ系アメリカ人で、「マフィアのドンの中のドン」と呼ばれた国際犯罪組織の大物です。彼はイスラエルのために、多額の金と武器を送っていたとされます。そして、暗殺犯とされたオズワルドは、逮捕の数日後、ナイトクラブ経営者ジャック・ルビーに射殺され、口を封じられました。このジャック・ルビーに射殺を指示したのが、ランスキーのグループだったとされています。

さらに、オズワルドを操縦していたとされるのが、CIAエージェントで元FBI捜査官のガイ・バニスター。そのボスがクレイ・ショー(CIAの情報源)。そしてクレイ・ショーが理事を務めていたのが、モサドが操縦するユダヤ系の国際企業「パーミンデックス」でした。パーミンデックスは、マイヤー・ランスキーとも、そしてモサドとも、密接につながっている。ケネディ暗殺のネットワークを精査すると、その周辺に、イスラエルのネットワークが、このように浮かび上がってくるのです。

補足しておくと、このクレイ・ショーという人物は、決して私が持ち出した架空の名前ではありません。1960年代、ニューオーリンズの地方検事ジム・ギャリソンが、JFK暗殺の共謀の罪でこのクレイ・ショーを実際に起訴し、法廷に立たせた——これは、アメリカの司法記録に残る史実です(映画『JFK』でも描かれています)。裁判では無罪となりましたが、「一民間人が大統領暗殺の共謀で起訴された」という異例の事実そのものが、この人物の周辺に何かがあったことを、静かに物語っています。そのクレイ・ショーが、モサドとつながるパーミンデックスの理事だった。点と点は、こうしてつながっていくのです。

そして、実行犯についてです。実際に引き金を引いたのは、オズワルドではありません。 オズワルドは教科書倉庫ビルの上階からケネディの背中を撃ったとされますが、ケネディは前方から撃たれて致命傷を負っている。オズワルドが致命傷を与えることは、できなかったのです。では、誰が。そこはいまだ確定していませんが、広範なネットワークをたどると、フランスの秘密軍事組織OAS、そしてコルシカ島のマフィア(傭兵)をスナイパーに雇ったという話が出てきます。モサドの諜報員がフランスの情報機関に暗殺代行を依頼し、フランス情報機関が密接な関係にあるOASに人間の調達を依頼、OASが雇ったスナイパーが、CIAの外国人傭兵部隊「ZR/ライフル」へとつながっていく。そして、それを指揮していたのが、JJアングルトンだった──というのが、私の見立てです。「オズワルドは親カストロ・親ソ連のスパイだった」という分かりやすい説は、ミスリードを誘うためのカバーにすぎない、と私は見ています。

なぜ、JFKファイルは今も全部開かないのか

数千点にのぼるJFK関連の文書が、いまなお完全には公開されていません。公開されたものの中にも、肝心な部分が黒く塗りつぶされた「赤塗り」の文書が、数多く残っています。もし何も後ろ暗いものがないなら、なぜ60年も経った事件の文書を、今も隠し続ける必要があるのでしょうか。

トランプ大統領が、JFK暗殺のファイルを公開すると言い、多くの人が期待しました。しかし私は、正直、どうせ肝心なところは出てこないだろうと思っていました。実際、公開された中身を見てみると──出てくるのは「CIA止まり」なのです。JJアングルトンの名前は頻繁に出てくる。しかし、そこで終わってしまう。イスラエルとCIAの窓口だったアングルトンのところで、扉が閉じてしまうのです。マイヤー・ランスキーも、パーミンデックスも、フランスの情報機関も、コルシカ島の傭兵も、ガイ・バニスターも──その先の人物は、一切出てこない。 隠すから、疑いが生まれる。これは、当然のことなのです。

まとめ──陰謀論の温床に紛れる「真実」、そしてタッカーの覚悟

陰謀論の温床に紛れる真実

最後に、視野を広げます。JFK暗殺に限らず、歴史上の大きな事件では、しばしば「本当のこと」が決して表に現れません。2001年の9.11も、その一つです。 公式の発表と、人々の実感とのあいだに、埋まらない溝が残る。その溝が、陰謀論の温床になるのです。

ここで、誤解のないように申し上げます。私は、すべての陰謀論が正しいなどとは、まったく思っていません。 むしろ、99%以上は、根拠のない、雰囲気だけの俗説です。今日検証したFRBの話のように。ですが、その膨大な偽物の中に、ほんの一握り、本物の真実が紛れ込んでいることがある。だからこそ、真実を知りたいなら、そのカバーとなっている俗説・偽物を一つずつ払いのけて、見つけていかなければならない。多くの陰謀論は、むしろ真実を隠すために、意図的に作られているとすら、私は考えています。「どうせ陰謀論でしょう」と片づけてしまえば、真実は一向に見つからないのです。私は911を徹底的にリサーチしましたが、やはり「あの国」(イスラエル)が絡んでいる。そしてJFK暗殺もまた、イスラエルの関与は否定できない、というのが私の結論です。なぜそれが表に現れないのか。答えは、圧力です。 どれだけ機密文書が公開されても、肝心な部分は黒く塗りつぶされ、あるいは永遠に封印される。トランプ大統領ですら、ファイルを公開すると宣言しながら、結局「CIA止まり」の中身しか出せなかった。大統領の権力をもってしても開かない扉が、そこにはあるのです。その扉の向こうに、誰が、どんな力を持っているのか。それを想像することこそ、構造を見るということなのだと、私は思います。

そして、タッカー・カールソンです。あれだけの影響力を持つ人物が、イスラエルの関与を断言した意義は、非常に大きい。同時にそれは、彼がイスラエルから狙われる要因にもなります。彼は先日も、JD・ホール氏を招いて、福音派をアメリカに広げるためのプロパガンダだった「スコフィールド聖書」の実態——アメリカのキリスト教をシオニストに変えるための装置だったこと——を暴露しました。

このスコフィールド聖書の話は、今日のJFKの話とも、実は地続きです。アメリカの福音派が、なぜあれほど無条件にイスラエルを支持するのか。その源流の一つが、聖書の欄外注釈にシオニズム的な解釈を刷り込んだ、この注釈付き聖書にあった。信仰という、最も疑われにくい入り口から、人々の世界観そのものが方向づけられてきたのです。1000万人規模の福音派ロビーがどう機能しているかは、記事「AIPACを超えるアメリカ最大のイスラエル・ロビー「CUFI」とは何か」でも解剖しました。タッカーは、こうした都合の悪い事実を、次々と白日の下にさらしている。過去には、同じように盾突いて命を落とした人物もいます。 だからこそ、私はタッカーが同じ結末を迎えないことを、心から願っています。彼の仕事の意義は、それほど大きいのです。

最後に、これだけは申し上げます。タッカーの言うことも、私が示したこの相関図も、鵜呑みにしてはいけません。タッカーはそう主張している。私はそう調べて結論づけた。しかし、そこから先は、受け手である皆さん自身が、情報を見極める力を持てるかどうかにかかっています。何を根拠にそう主張しているのか。その根拠は確かめられるのか。一つひとつを、自分の頭で吟味する。それを放棄して、耳ざわりのいい結論だけを鵜呑みにすることは、たとえその結論が正しかったとしても、とても危険なことなのです。情報を見極める責任は、最終的に、私たち一人ひとりの側にあります。 表層ではなく、構造を見てください。その封印された扉が開く日まで、私は、事実を一つずつ積み上げながら、問い続けたいと思っています。

今回の内容をさらに詳しく解説した動画は、私のYouTubeチャンネルで公開しています。ぜひご覧ください。

よくある質問(FAQ)

Q1. タッカー・カールソンは具体的に何と言ったのですか? 「アメリカ政府の内部に詳しい人々が、イスラエルはJFK暗殺に関与していたと私に告げた」「最も強力な証拠は、政府が今なお公開を拒む文書の中に隠されている」「トム・コットン議員が残りのファイルの公開を妨害している」と述べ、イスラエルを「ナチスと同じジェノサイドをやっている」と痛烈に批判しました。ただしこれは彼の主張であり、証拠そのものではない点は留保が必要です。

Q2. イスラエルにJFKを暗殺する「動機」は本当にあったのですか? 一次資料の残る形で存在しました。最大の対立はディモナ核施設の査察をめぐる「書簡の戦い」で、ケネディは同盟国イスラエルにも例外を認めず査察を要求。ほかにパレスチナ難民の帰還権支持、そしてAZC(AIPACの前身)へのFARA登録要求もありました。ケネディの死後、これらの圧力はいずれも急速に弱まっています。ただし「動機の存在」と「暗殺の実行」は別問題です。

Q3. 「JFKはFRBから通貨発行権を奪おうとして殺された」という説は本当ですか? 成り立ちません。大統領令11110号は新権限を作るものではなく、既存の権限を財務長官に委任する事務的な命令で、むしろFRBの役割を強める方向のものでした。議会調査局もこれを否定しています。金子氏は「本物の動機はディモナの対立であり、FRB説は雰囲気だけの俗説」として、本物と偽物を厳しく区別すべきだと強調しています。

Q4. なぜ今もJFKファイルが完全公開されないのですか? 数千点が未公開で、公開分にも黒塗り(赤塗り)が多数残ります。トランプ政権下で公開が進んでも、出てくるのは「CIA止まり」で、イスラエルとの窓口だったアングルトンの名前で扉が閉じ、その先(ランスキー、パーミンデックス、フランス情報機関など)は出てこない、と金子氏は指摘します。隠されているという事実そのものが、疑いを生み続けています。

関連記事

ここまでお読みくださりありがとうございます。また次の記事でお目にかかりましょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

反DS歴史研究者、調査ジャーナリスト。YouTube『あつまれニュースの森』(登録者10万人)にて反グローバリズムの視点で世界情勢・国内政治を解説。

本業だったコンサルタントから徐々に歴史研究にシフトしていく。日々リサーチする中、メディアや歴史が嘘だらけであり、この世界が一部の権力機構によって支配されてきたことに強烈な違和感と憤りを覚えるようになる。

グローバリズムの根源と実態を徹底的に研究。その歴史を旧約聖書まで遡り、現在のいわゆるディープステートのルーツがハザール系とアングロサクソン系の2系統にあることを突き止める。

2021年、YouTubeを開始し、グローバリストのルーツを徹底解剖するオンラインサービス『金子ゼミ』を立ち上げる。

グローバリストにより”修正”された歴史を”修復”する「歴史復元主義」を根本理念とする。

情報発信者としての信条は「左も右もない反グローバリズム・国益第一主義」「不偏不党」。

目次