なぜ僕たちは幸せになれないのか?新時代の幸せとはなにか哲学してみた。

幸せについて

こんばんは!

自分史上最高のアニメ
『蒼穹のファフナー』が
Netflixでスタートし、
毎日むさぼるように観ている金子です。

新しい日常がもたらすもの

これまで疫病、パンデミックは
文明や社会に大きな変化を
もたらしてきました。

ペストは、宗教上の権威である神の信仰を
大きく揺るがせ、ルネサンスの隆興や、
その延長で科学の信仰へと発展し、
産業革命をもたらします。

今世界中で猛威を奮っている
新型コロナウィルスも、

僕たちの生活様式や
価値観に大きな影響を及ぼし、

「ニューノーマル」なる
新しい日常へと世界を導こうとしています。

そうした時代の大きな流れのなかで、
僕たちが求める「幸せ」にも、
大きな揺らぎが起こっていると感じています。

そこで今日は、ちょっと抽象的な
テーマとなりますが、

・これから起こる「幸せ観」の変化
・令和における「幸せの定義」とは?

について僕の考えをシェアしていきます。

毎日、充実していますか?

唐突な質問なんですが、
あなたは毎日充実していますか?

この質問に一点の曇りなく
YESと即答できたとしたら、
その人は間違いなく
幸せな人生を生きているんだと思います。

とはいっても、
好きで選んだ仕事にも
いろいろ大変なことってありますよね。

思うようにうまく行かない時期があったり、

今まではうまくいっていたものが
突然環境の変化によってその安定が
崩れてしまったり、、、。

僕たちの人生は常に順風満帆ということはなく
なにかと悩み事とか心配事はつきものです。

僕もその例外ではなくて、
どうしようもなく憂鬱になったり、
ふと不安な気持ちに襲われたりといったことも
少なくありません。

それでも、毎日を充実させることは
できると僕は思っています。

そして、それができれば、
幸せの状態を手にすることもできるようになります。

ちょっとここで、
時代の流れに目線を上げてみようと思います。

平成から令和へ、どう変わったのか?

これまで日本の経済は不況が長く続き、
平成という時代はデフレの30年で、
政府の経済政策はまったく
うまくいきませんでした。

たしかに貧困化が進み、
閉塞感はありましたが、

それでもどこかしらに、
「この不況を乗り越えれば、
また日本はよくなるのではないか」
というほのかな希望を持っていた時代。

昭和の発展と成功が
余韻として残っていて、
また頑張れば、あるいは
なにかしらきっかけがあれば
また元のような日本に戻れるかもしれない・・・。

そんな期待や憧憬という幻想を
片手に握りしめていた時代。

それが平成という時代だったように思います。

しかし、
令和という新時代が始まり、
心機一転で新たな成長へと
仕切り直そうとしていた矢先に
コロナウィルスが世界を席巻。

日本もその影響は避けられず
このパンデミックの波に飲まれました。

「新しい元号に変わり、きっとこれから
 全体的に上向くはず・・・」

という期待や予感は、
ことごとく吹き飛ばされてしまいました。

予測不能な状況に放り込まれ、
個々が想定していた見通しも願望も
強制的な変更を余儀なくされてしまったわけです。

“これまでの延長線ではうまくいかない…”

停滞しつつもほのかな期待を持っていた平成から、

先行きが見えなくなり、
計画変更と新しいビジョンと目標設定を
模索しなければならない令和へ。

この流れの中で、
僕たちの内面にも「揺らぎ」が
起こってきている
ように感じています。

まず、これは非常に
感覚的な表現になりますが、

今起きている変化は、
自分が自覚している以上に
大きなもので、

これまでの延長線では
うまくいかない時代に
なっている・・・

という感覚を持っている方が
多いのではないかということです。

深層心理では、

もうコロナ前のような
(平成の頃のような)
元の日常に完全には
戻らないんだろうな

ということに気づいている状態です。

崩壊しつつある「成功と幸せの神話」

これまでのような日常が
蜃気楼のように霞みつつあり、
新たな日常への模索をする過渡期。

それがまさに今なんだと思います。

これは言ってみれば、
過去に僕たちが刷り込んできた
成功や幸せの神話(価値観)が
大きく揺らいでいる
時期とも言えます。

これまでは有形の成功に価値があり、
お金や地位、結果や承認などに
心惹かれる人がマジョリティだった時代。

わかりやすいのが、
ビットコイン長者や億り人に象徴されますが、

お金持ちやセレブの生活に憧れ、
自分も成功してそんな生活をしてみたい
という欲求がドライバーとなっていた時代。

平成の貧しくて金銭的ニーズが満たされなかった
反動ともいえる有形的成功への衝動が
社会的に満ち満ちていた時代。

シンプルにいうと、
成功という「結果」をゴールにして
競争していた時代。

そして、欲しい結果のためなら、
「汗水垂らして」
「身を粉にして」
「なにかを犠牲にしても頑張る」

ことを厭わない。

でも、
のぞみ通りの結果を手にし、
成功をつかむ人はいつの時代も
ほんの一握りであって、

大多数のひとは、
その労力に見合うだけの結果を
得ることができないジレンマと
フラストレーションを抱えつづけた、
「努力が報われない時代」でもあったと
言えるかもしれません。

そして、
令和になり、コロナ時代に突入したことで、
これまで信じていた(コロナ以前の)
「頑張れば報われる」に象徴される
成功と幸せの神話ががらがらと
崩れようとしているのです。

人生の見直しブーム

また、コロナによって、
これまで想定いていた
人生全体の見通しやプラン、
短期的な目標などを

一度立ち止まって見直そうという
人たちが増えてきていると感じています。

独立を考えていたひとが、
会社員はやめず副業で収入を増やす方向に
見直しをしたり、

これまでやっていた事業を手放し
大きく転換しようとしたり、

フリーでやっていたひとが、
会社勤めを視野に入れようとしたり、

専業主婦の方が副業を考え始めたり、

多くの人が自分のこれからのキャリアや
ワークスタイルを見直しているのかなと。

それは仕事に限ったことではなく、

住む場所を都会から地方に変えようと
考えているとか、

コロナショックによって、
自分の成功よりも、
家族の健康や安全、
身の丈のあった足下の幸せのほうが
よっぽど大事だということに気がついて
人生の目標を再設定したりとか、

人生全体を見直しているといった
方も少なくないと思います。

コロナがもたらした福音

コロナは僕たちの社会や
経済に大きなダメージを与えています。

ここだけを切り取って見てしまうと、
疫病神に思えてしまうわけですが、
物事には陰と陽の両側面があります。

コロナがもたらしているものは、
陰だけではありません。

僕たちのこれまでの生活様式や
価値観、成功と幸せの定義について
根本から見直しをする、
大きなきっかけを与えてくれている

という意味で、
「陽(福音)」の面もあるのではないかと思うんですね。

実際そのことに気がついて、
価値観や生き方の見直しをはじめている
方もいらっしゃると思います。

では、僕たちの幸せ観は
どんなふうに変わってきているのでしょうか。

ちなみに、幸せの定義とはなにかという
問いに正解はありません。

あくまでも僕の定義をシェアしようと思います。

令和における幸せの定義

僕は、幸せというのは、
「喜びが持続している状態」
のことだと定義しています。

持続可能な喜びを感じられていることが
幸せな状態だということですよね。

つまり、
たとえビジネスで成功して、
お金が潤沢にあったとしても、

もし日々喜びが持続し、
毎日が充実しているという
実感が持てていないとしたら、

それは幸せだとは言えないということです。

平成スタンダードな努力の形

例えば、あるひとが、
欲しい結果を求め、
成功を目指して毎日脇目も振らずに
睡眠時間を削って努力しているとします。

そのプロセス(過程)は
けっして楽しいものではありません。

そして、いろいろな欲求を抑え込んでいて、
なにかを犠牲にし、抱えるストレスも大きいと。

それでも真面目な彼は、
成功することを信じて頑張りつづけていきます。

そして、その辛く長い努力が実って、
ようやく念願叶いビジネスで成功しました。

もちろん溢れるような喜びで
心がいっぱいになります。

欲しい物も不自由なく買え、
ステータスの高いエリアに住むこともできました。

成功しても幸せになれない理由

しかし、
その喜びは持続しませんでした。

かつて自分が求めていた理想の状態に、
「慣れ」が起こってしまうにつれて、

彼が感じていた大きな喜びは
潮が引いていくように消えていってしまったのです。

喜びがなくなってしまった彼は、
またあのとき感じた至福のときを欲しました。

そして、
さらなる高みを目指し、
高い目標を設定し、

再び結果を出すための
苦しい旅(プロセス)に出発します。

幸せがもし、
「喜びが持続している状態」だとするなら、

彼が幸せだったときは
いったいどれくらいあったのでしょうか?

結果を求めるプロセスが
苦しいプロセスであったのなら、
そのプロセスに喜びはなく、

したがって、
彼はそのプロセスの間、
幸せを感じてはいなかった

ということになります。

この彼の物語は、
デフォルメ化してつくった創作ですが、

これまでの昭和から平成の時代は、

彼のように、
「結果」を求めるプロセスにおいて、

「喜び」や「楽しさ」を横に置き、

「努力し」「犠牲を払って」
「ストレスに耐えながら」
ひたすら頑張る
というのが
スタンダードだったようにおもいます。

プロセスよりも結果を優先した時代
だったと言ってもよいかもしれませんね。

平成スタイルへの違和感

平成の終わり頃には、
このプロセスに喜びが感じられないことに
ある種の違和感を感じ始めた方はもうすでに
多くなっていたのではないかと思います。

幸せに向かうプロセス自体が
幸せではないなんて、おかしくない?

幸せになるために懸命に生きているのに、
ちっとも幸せに近づいているように思えない。
頑張る方向が間違っているのでは?

そういう違和感です。

それが、令和に変わり、
コロナが襲来したことで、

そうした違和感がいっきに
顕在化してきているんだと思います。

もう多くのひとたちが
気づき始めているのではないでしょうか。

これまで信じていた神話が
幻想であったことを。

そして、
結果よりももっと大切な目の前にある
幸せに至る道(プロセス)を。

つまり、
プロセスを頑張ることでは
欲しい結果、望んでいる未来は手に入らない。

プロセス自体を喜びにすることこそが、
幸せな人生を歩むうえで重要
なのではないか。

はっきり自覚していなくても、
潜在的にはもうこのことを感じている方は
多いと思っています。

幸せな人生を再定義する時代へ

そして、
そういう方たちは、無意識のうちにも、
喜びが持続するプロセス(生き方、働き方)に
シフト
していこうとする衝動や本能が
起こりつつあるのではないかと思います。

幸せというのは、
喜びが持続する状態。

多くのひとたちは
もうその感覚を受け入れつつあるのではないか。

そう感じるんですよね。

そういう意味では、
このコロナという洗礼を浴び、
憂慮と危うさと混沌のもとに始まった
令和という時代は、

社会全体が幸せそのものを
再定義しはじめる時代

と言えるかもしれません。

大きな結果よりも充実したプロセスへ

結果(未来)よりも
プロセス(今この瞬間)を大事にする。

こうしたマインドフルな生き方が、
この令和では当たり前なモードとして
定着していくのでしょうか。

それはまだわかりません。

ただ、多くのひとが、
これまでの価値観を見直して、
自分なりの幸せを再定義することで、

結果よりもプロセスを大切にする
生き方を選択していく
のではないかと、
個人的には思います。

結果のためなら、
歯を食いしばって、
嫌なことも目をつむって
黙々とがんばりつづけるというスタイルは
平成という時代とともに、
昔懐かしい時代の価値観になるのかもしれません。

その代わりに、
すでに若い人たちには
当たり前になっている、

・好きなことを人生の中心に置く
・自分のほんとうに欲しいものを求める
・我慢してストレスを溜めるくらいなら逃げる

という直感に従い、
自己の本能に忠実に生きる、
セルフセンターなスタイルをする人たちが
増えていくのではないかと思っています。

いつ成し得るかどうかもわからない
遠い未来の成功のために今を犠牲にするのではなく、

・足下や身近にある大切なものを大切にする
・今感じられる喜びを選ぶ
・できることよりも好きなことを選ぶ
・大きな結果よりも充実したプロセスを重視する

そんな時代になっていくのではないかと思います。

あなたにとっての幸せとはなんですか?

それは持続する喜びをもたらすものですか?

あなたも時代の過渡期に一度立ち止まって、
哲学してみてはいかでしょうか。

ということで、
本日は以上です。

お読みいただき
ありがとうございました!

金子吉友

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