現代人は進化どころか退化している。

♣️考え方

現代人は(僕も含めて)、

科学文明が発達することで、

生活のレベルが向上して、

豊かな社会に発展してきていると思っている。

 

 

このことを疑っているひとは

まずほとんどいないだろう。

 

 

 

物質文明は、

目に見える形で、

僕たちの生活レベルを引き上げてくれている。

 

 

それは紛れもない事実。

 

 

例えば、スマホ。

 

 

30年前、

携帯電話なんてなかった時代には、

好きなひとに連絡するのに、

自宅電話に電話していた。

 

 

今は、

LINEでいつでも直接

好きなひととチャットができる。

 

 

これはほんとに、

ありがたいこと。

 

 

もう当たり前になっているけど、

「もしスマホがなかったら

どうなるか」を考えれば、

スマホなくして、

僕たちの生活が成り立たないことがわかる。

 

 

スマホを家に忘れてしまったら、

その日は不便さ極まりない

散々な1日になることは容易に想像できる。

 

 

 

他にも、

インターネット、ロボット型掃除機、

Wi-Fi、新幹線、Google、

Amazon、facebookなど、

 

文明の技術によって、

僕たちの社会は

明らかに発展しているとおもえる。

 

 

 

しかし、

果たして本当にそうなのだろうか。

 

 

 

最近、ふと、

そんなふうに感じてしまうことがある。

 

 

 

人類は

宗教というものをつくり、

神という概念をつくった。

 

 

今でも、

精神の基盤として

宗教を信仰するひとは

世界中にいる。

 

 

そして、現代に入り、

産業革命が起こると、

 

今度は、

科学を神と考えるようになった。

 

 

その科学を

僕たちは絶対の対象とし、

信仰しはじめた。

 

 

また、

お金も信仰の対象となった。

 

 

資本主義という名の宗教。。。

 

 

科学やお金こそが

神という信仰が

いつしかこの世界を覆い尽くした。

 

 

人間の価値は、

かつては絶対的なものであって、

決して測ることなどできなかったのに、

 

いまでは収入や所有物や

ステータスや学歴や

職業や住んでいる地域、

 

facebookやインスタグラムの

フォロワーやいいねの数など、

 

物質的で相対的な基準によって、

ジャッジされ、優劣が測られる

ようになっている。

 

 

 

相対的な社会は、

人と人のつながりを

ぷちぷちと分断していった。

 

 

 

こうした個と個の分離が

社会的に常態化することによって、

 

孤独、不安、恐れ、劣等感、

無価値観などの

心の不安定さを引き起こす。

 

 

 

 

物質文明が発達することによって

個の分断と孤独もまた加速している。

 

 

 

心に空いた、

ドーナツのような穴。

 

 

この穴は、

多感な幼少期から

空き始める。

 

同級生のともだちたちと

相対的に比較され、

評価されることによって。。。

 

 

そして、子どものころから

いつしか僕たちは

 

自分らしく生きることではなく、

 

劣等感というこの穴を塞ぐことが

人生の目的となっていく。

 

 

Newsweekによれば、

 

アメリカでは2013年から2016年の5年間でうつ病と診断された人の数が33%増加したことが明らかになったらしい。

 

※米国の保険会社ブルークロス・ブルーシールズ(BCBS)が5月11日にデータを発表

 

増加は特に10代やミレニアル世代に顕著で、

12歳〜17歳は63%増加しているという。

 

 

日本でもうつ病診断をされた人は

増加の一途をたどっている。

 

自殺者の割合だって世界で群を抜いている。

 

 

 

 

 

経済的、物質的に豊かになっている現代。

 

一方で、

心はいっこうに豊かになっていかない。

 

 

 

 

文明は進む。

 

しかし、

人間自体はいったい

どこまで進歩したのか。

 

 

 

 

僕は今、

ヨガの先生について、

古代の教えを学びはじめている。

 

 

その先生から

読むようにと一冊の本を

手渡された。

 

 

 

その本には、

 

ロシアの成功した起業家

ウラジーミルが、

 

ふとしたことがきっかけで

シベリアのタイガに住む

美しい女性と出会ったことで

 

生きるうえでの価値観や

世界観が劇的に変わり、

人生がシフトするという物語が

描かれている。

 

 

 

その女性の名前は

アナスタシア。

 

 

森のなかで生まれ、

文明とは切り離されて

生きているが、

 

目に見えない大いなる

存在の知恵にアクセスすることで、

世界のできごとを知り、

聖人たちの叡智をダウンロード

することができる力を持つ。

 

 

 

主人公ウラジーミルは、

 

ビジネスで成功し、

社会的な名声も

経済的な豊かさも

手にしていた。

 

 

しかし、

彼女と出会い、

3日間ともに過ごすことで、

人間の存在の本質について

これまで信じてきたものが

大きく揺らぐ。

 

 

 

彼女のもとを離れた

ウラジーミルは、

 

これまでにない

人生のどん底を味わう。

 

 

ビジネスで大きな負債を負い、

自信と希望を失ってしまうのだ。

 

 

やがて自殺をすることを決めるが、

不思議な偶然が重なり、

 

アナスタシアとの約束を思い出し、

一冊の本を書き始める。

 

 

そこから彼の人生が

好転していく・・・

 

 

そんなストーリーなのだが、

 

ウラジーミルは、

これまでの物質文明と

資本主義パラダイムに

どっぷりとつかっていたために、

 

彼女から教わった、

自然と共生し、

人間の高い潜在能力を

活用する生き方に

なかなか移行することができない。

 

 

 

過去の価値観が抵抗し、

新しい生き方に変化することが

いかに難しいかを象徴している。

 

 

 

 

 

この本のなかで、

印象的だったのが、

 

古代の人間が

どう自分たちの力を

引き出していたかの描写。

 

 

 

彼らは、

コンピューターでいうと、

宇宙規模の壮大な

コンピューターに

自在にアクセスできた。

 

 

自分の脳内にも

処理装置である

小さいコンピューターはあるが、

 

その1つ1つの

小さいコンピューターを

たばねる大きなサーバーのような

中央コンピューターにある

巨大なデータベース(人知を超える叡智)に

アクセスすることで、

 

病気を治し、

ピラミッドのような建造物をつくった。

 

 

いっぽうで現代人は、

自分の脳内にある

小さいコンピューターしか

使っていない。

 

 

もっと大きな中央コンピューターに

アクセスする方法をすっかり

わすれてしまった。

 

 

ざっくりまとめると、

そんな主旨のことが

書かれているのだが、

 

これは意識と潜在意識

顕在能力と潜在能力の話だと

とらえるとわかりやすい。

 

 

科学技術の信仰によって

目に見えないものやスピリチュアルな世界を

怪しいととらえ排除するようになったことで、

 

いつしか人間は、

古代のひとたちが当たり前のように

潜在意識を媒体にして、

巨大なデータベースにアクセスする方法を

自ら放棄してしまったといえるかもしれない。

 

 

 

 

 

先日行ったスペインで見た

プラド美術館の作品のことを思い出す。

 

そこには、

中世ヨーロッパを代表する

巨匠たちの名画が展示されていた。

 

なかでも私が圧倒的に引き込まれたのが

ルーベンスの作品だった。

 

 

※写真はwikipedeiaより掲載

 

 

作品自体に宿っているパワーは

尋常ではなく、

 

いったいどんな精神状態なら

こんな常軌を逸した

生命力あふれる絵を描けるのか。

 

 

巨匠たちの仕事は、

まさしく神の仕事だとおもった。

 

 

彼らはすでに

個人と人知の限界を越え、

巨大なコンピューターと一体となり、

覚醒的な精神と魂の状態のもと、

これらの作品を描いたのではないか。

 

 

 

ピカソにしても、

モーツァルトやベートーベンにしても、

ワーグナーやニーチェにしても、

偉業を遺した天才たちは

例外なくこうした神の仕事を

していたと思っている。

 

 

 

僕も死ぬまでに

神の仕事をしたい。

 

切にこいねがうばかりだ。

 

 

 

物質文明や科学技術が

発達すればするほどに、

 

人間はそれらを信仰し、

自らの力や可能性に対する

信頼を失っていく。

 

 

この悲しき現実は、

この本のなかで何度も登場する

「闇の勢力」の描いたシナリオ

どおりの現実だ。

 

 

彼らの狙いは、

まさしく個の弱体化であり、

社会の分断化であり、

自信の喪失であり、

 

僕たちをけっして

覚醒しないように催眠状態

置いておくことだ。

 

 

テレビやインターネット、

SNSやYoutube、

都市伝説、プロパガンダ

フェイクニュース

などによって

価値観を洗脳し、

真実から目隠しし、

 

こどものころから、

思考停止教育を施す。

 

 

かくして、

ぼくたちは

果てしない潜在能力のうちの

1%も自覚・発揮できない

一生を送らされている。

 

 

 

もともと備えていた

偉大な力を僕たち人間は

いつしか忘れ、

失ってしまっているとしたら・・・?

 

あなたは、

そんな可能性を一度でも

考えたことがあるだろうか。

 

 

 

 

映画「マトリックス」の

主人公ネオのように、

 

この現実が、

あるひとたちが画策したとおりに

実現した社会となっていることに

違和感を感じることから、

 

僕たちの本当の人生は

シフトしはじめる。

 

 

この話をSF映画のように

フィクションとして済ませるか。

 

 

それとも、

一考に値する仮説としてとらえるか。

 

 

もちろんあなたの自由。

 

 

僕は後者の視点を

採用してから、

バーチャルではない、

リアルの人生が動き出したという

強い実感を持てるようになった。

 

 

 

僕は10年前に起業し、

長くビジネスを教えてきたが、

 

ビジネスをビジネスという文脈だけで

教えることの限界を

この10年で痛いほど味わった。

 

 

ウラジーミルのような

成功と挫折を繰り返す

ジェットコースターの人生を

経験してきたことから、

 

目に見えないスピリチュアルの世界に

答えをもとめ、

この4年ほど探求をしてきたことで、

真理を覆い隠している霧がようやく

晴れてきていることを実感している。

 

 

 

僕のヨーガの師は言った。

 

「苦しみこそが人間を成長させる」と。

 

 

苦しみが成長に転じる時、

その苦しみははじめて清算され浄化されるのだろう。

 

 

そして、人間の崇高で偉大な

潜在能力が開かれ、

かつての偉人たちが成し遂げた

神の仕事と近づいていくことができる。

 

 

だから、今あなたが苦しみの淵に

いたとしても、それはあなたが

成長を遂げている最中であり、

その先には必ず晴れ渡る山の頂上が開かれ、

今まで見たこともなかったような

美しい景色を見ることができるということ。

 

 

挫けず、腐らず、諦めず。

 

苦しみを抱えながらも、

心の向かう先を確かめながら

一歩一歩進んでいこう。

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